【補遺】ルカ23章27~31節の解釈
 「女が身ごもる」ことと「不妊」について言えば、洋の東西を問わず、女性が身ごもるのは「幸いな」出来事であり、それは神の恵みです(ルカ1章7節/同1章24~25節/同1章30~31節)。
 さらに、ルカ福音書では、この「女性の身ごもり」に優る「幸い」として、「神のお言葉に聞き従う幸い」があげられています。
 「群衆の中から一人の女が声を張り上げて言った。『なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は。』しかし、イエスは言われた。『むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。』」(ルカ11章27~28節)。
 「神の言葉を(聞いて)守る」は、ルカの好む言い方で、ルカ8章21節にも、この言い方が出てきます。注目したいのは、ルカ8章21節と内容的に並行するマルコ3章35節では、「神の御心を行う(人)」とあります。だから、ルカは、その8章21節で、マルコの「神の御心を行う」を「神の言葉を聞いて行う」(ルカ8章21節)に変えています。ほんらいの伝承では、「神の御心を行う」、あるいは「神の御心に従う」であったと思われます。
 さらに、ルカ11章27~28節では、イエスの言葉を聞く一人の女が「あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は幸いだ」と叫ぶのを聞いたイエスが、「幸いなのは、(むしろ)神の言葉を聞いて守る人である」と答えます。この場面は、これに先立つイエスの悪霊追放の出来事と絡んでいます。イエスによる「悪霊追放」を目にした群衆の中には、「あの男(イエス)は悪霊の頭ベルゼブルの力を借りて悪霊を追い出している」と言う者や、イエスが偽宗教を唱えていると(イエスを)危険視する者などが居て、イエスを<試そうと>いろいろ批判を浴びせたのです。「知的傲慢」の自惚れから宗教批判をやらかすこういう人たちに向かって、イエスは鋭く警告します。それが、「追放された悪霊が、ほかの七つの悪霊を伴って戻ってくると、その人の状態は、前よりもいっそう悪くなる」という極めて危険で恐ろしい出来事です。「悪霊追放」という驚くべき「幸いな」出来事が、人間の宗教的で知的な傲慢に出逢うと、恐ろしい「不幸な結末」を生じ、「最高の幸い」が「最悪」をもたらすのです。ところが、この出来事に続いて、イエスの悪霊追放の出来事を目撃して驚く群衆の中の一人の女が叫んだのが、「胎と乳房は幸いだ」の言葉です〔荒井献『トマスによる福音書』講談社学術文庫(242~244頁を参照)〕。イエスを産んだ「胎と乳房は」、その直前で告げられる「恐ろしい結末」から人々守ってくれるからです。
 ルカ21章23節は、先のルカ11章27~28節を受けています。だが、ルカ21章23節では、「身ごもり」の幸いな恵みが、不幸な「災い」に変じるのです!(マルコ13章17節と並行)。なぜなら、「身ごもり」で生まれた人が、「天地創造以来の空前絶後の苦難」(マルコ13章19節)と出逢うからです。マルコ=ルカのこの箇所は、トマス福音書(79)とも並行します。「群衆の中から一人の女が彼(イエス)に言った。『あなたを宿した胎と、あなたが吸われた乳房とは幸いです。』彼(イエス)が(彼女に)言った、『父の言葉を聞いて、それを真実に守った人々は幸いである。なぜなら、あなたがたは、「はらまなかった胎と、ふくませなかった乳房とは幸いだ」と言う日が来るであろうから』」(トマス福音書79)。
 今回のルカ23章27~31節でも、イエスの十字架の苦難を嘆く女性たちのみごもりが、「起こらない幸い」が告げられます。不妊が「災いに遭わなくて済む幸い」をもたらすからです。ここには、「不気味な暗闇の未来への怖れ」〔Marshall. The Gospel of Luke. 864.〕が予告されています。だから、不妊は、生まれた人が「最悪の苦難に出逢わなくて済む幸い」〔Bovon. Luke 3. 295.〕になるのです。ちなみに、パウロのガラテヤ書4章27節での「たとえ」では、「地上のエルサレム」は、律法に縛られ、自然の肉によって人から産まれた「奴隷の女のエルサレム」であり、キリスト教徒が属する「天のエルサレム」は、律法に縛られないで、霊によって生まれた「不妊の女の自由なエルサレム」です。
 悪霊を追放するイエスが、十字架を背負って歩むその姿は、イエスによる悪霊追放の神業が、イスラエルの宗教的・政治的権力者たちによって「悪霊の頭による業」から出ていると見なされたために生じた悲劇です(F. Bovon. Luke 3. 299.)。しかも、この十字架の悲劇は、もっと悪い「七つの悪霊」が将来襲うであろう危険をも予想させます。イエスが、イエスの十字架を嘆く女性たちにわざわざ振り向いて、「不妊の幸い」を警告しているのはこのためです。不妊は、「不幸に出逢うことがない幸い」をもたらすのです。この発言に続いて、イエスは、「災いに出逢った時に起こること」をホセア10章8節の預言を引用して予告します(30節の注釈を参照)。
             十字架への道へ