私の「出来事」
                            石田王良
 2016年8月の夏期集会で「パウロの出来事」の講話が私の心に残りました。パウロが生まれる前から与えられていたローマの市民権「わたしを母の胎にあるときから選び分け」(ガラテヤ1:15)召されていたという事がどういう事なのか。私たちがキリスト者となってからの歩みは私が生まれる前から与えられたもの全てが今の私の歩みであり私の出来事として、今があることに驚きました。そして「私の出来事」として、今の歩みを検証してみました。
 私は(1956/8/7生)公務員の父と母、3才上の兄と4人家族として、ごく普通な家庭で育ちました。私が中学1年生の時、兄が高校生で兄が教会に導かれ、私は兄の真似をして近くの教会に行きました。私は小学生の時から勉強が嫌いで毎日夕暮れまで遊びほうけていました。中でも国語が嫌いで漢字のほとんどが読めず国語の成績は2でした。字が読めないということは、国語に限らず全ての教科書が読めず理解出来ないということになります。各学年ごとに覚えた漢字で教科書が構成されているため、国語で落ちこぼれると、全てに落ちこぼれる可能性が大きくなります。
 今でも覚えていますが、小学3年生の1学期の通知表は上から222222とアヒルさんが立て並び、一番下の体育だけが5でした。読書たることは一度もしたことがありません。本を読みたいという憧れは有りましたから、一応、図書館で本を借りてみますが、一ページ目でアウトでした。このころの自分を「活字難読症候群」と勝手に命名していましたが、今では「難読症」と病名があるようです(病状の程度は色々あるようですが、わしの場合はごく軽傷なのでしょうか。ただの勉強嫌い・・。自己判断ですが)。今でも活字は超苦手です。そんな私が中学生となり教会へ行き、初めて手にした聖書に驚きました。あの分厚い本の全ての漢字に振り仮名が振ってあって、この私でも読める本があったのです。本当に嬉しかったです。
 ある時、教会の奉仕で養護学校の子供に紙芝居をしてあげる役目を仰せつかることになるのですが、紙芝居の裏にある文章の漢字に振り仮名が無かったので、家で辞書を引き、振り仮名を振り、読み聞かせの練習をしました。そうこうして、中学3年生の時には国語が4になっていました。これは全て聖書のおかげですね。聖書は私に本を読む楽しさを教えてくれました。
 中3の夏(1973)、教会キャンプに参加した時に、イエス様の十字架の愛に触れて涙と共に一夜を過ごしたことは今でも忘れられません。高校生になって、兄と同じ諸集会と言われる集まりに転じました。その当時は、日本では学生のリバイバルで群馬の多くの高校で聖書研究会が開かれ、私も在籍していた高校で聖書研究会を始めて、伝道活動をしました。この諸集会という集まりに35年間在籍しました。
 その後、仕事(自営業)のつながりで、カタログ通販会社の仕事に携わり、ネズミ講運営とは知らず深みにはまり(2005年)、逮捕され、1年4か月の受刑生活を京都拘置所で過ごすことになるのですが、ここで、兄の勧めでコイノニアホームページの中から「ガラテヤ書講話」に出会い主の御臨在について知ることとなり、まさに「目から鱗」でした。
 出所後、東京コイノニア会(2008/10/12)で私市先生と初めてお会いした次第です。この東京コイノニア会の参加メンバーの方々は多種な教派の方々で毎回新しい方が現れ、色々な教会について知る機会となりました。また、3年間韓国の牧師が率いる東京開拓伝道に従事しました。
 20016年2月27日に私市先生を通して献身礼の按手に預かり、その二か月後に異言が与えられ、主の霊灯としての証の場を求めていました。すると、以前からカナダに居る長女から、今年の2016年9月から2人目の子供が学校に行くから昼間の時間に余裕が与えられたので、交わりながら聖書の学びをしたいというので準備をしていると、長女から、今毎週日本人夫婦の家で4,5人の家庭集会をしているので、月1度で一緒に私の証しと、学び会を開きたいということになり、「ガラテヤ講話」を題材に第一回目を9月16日にフェイス・タイムで始めました。参加者は、ペンテコステ派で救われ異言も与えられている30代の姉妹、カナダの教会で救われた福音派の30代の姉妹で、家庭集会の場所を提供して下さっているご夫婦は、ご主人はガンが癒された経験の60代、奥さんは、70代の年上のはきはきとした姉妹で、色々あってカナダに落ち着いたとのことです。私の娘で6人での集まりです。
 集会も中盤ごろ、ご主人が韓国人で奥さんが日本人の子供二人の家族の方が訪問してきましたが、画面には映っていなかったので気づきませんでした。集会の最後に讃美歌をと言われたので、この家族が居るとは知らず、私の好きな韓国ではよく知られた讃美歌を歌うと後で、とても懐かしく思えたと喜んで下さいました。 これが、2006年9月16日の出来事です。
 私は思いました。神様から与えられたこの集まりはなんと、私の今までの歩みを凝縮したような方々の前で、主の御臨在の証の場が整えられているだはありませんか。私の人生の負の遺産であった「活字難読症」で、勉学に疎く隠しておきたい事が、返ってコイノニアのホールページをひも解くにあたって学術的なことばを、私なりに置き換えたことばで主の臨在を証しさせられること。一般社会人としての落伍者になり1年4か月間の受刑生活。人生最大の負の遺産では有りますが、この経験を通して主の御臨在という主の最大の恵みに預かるとことになりました。
 この二つの負の遺産が、主の恵みにより、主から頂いた新しい創造の命の力へと変えられたのです。
それに、アメリカの保守的な教会の教理とした諸集会、韓国長老派教会、日本の福音派の教会の経験は、コイノニア会の交わりによって、真の主様との交わりが、主の御臨在にあるという体験へと私を導いて下るのです。
 パウロの出来事を通して、ローマの市民権、ユダヤ教のファリサイ派、ヘレニズム化されたギリシャ文化の中で異邦人への伝道が託されました。与えられ賜物を十分に活かされて福音がなされました。そんなパウロに重ねるような思いで、私の出来事は、私に与えて下さった。私にふさわしい私の福音として与えられている永遠の命にある新しい創造の中に生かされている。この恵みに感謝するばかりです。
                                 交信箱へ