有澤松司さんを偲んで
【はじめに】 私市元宏
わたしが有澤松司(ありさわまつし)さんと知りあったのは、2007年8月1日のことです。有澤さんのほうは、以前からコイノニア会のホームページをお読みになり、また園田さんからお借りして、わたしの著書『これからの日本とキリスト教』をお読みになっていたようです。有澤さんから、この著作の内容に心から賛同するので、著作を送ってほしいというメールが入ったのが、知り合ったきっかけでした。その後、幾度かメールのやりとりがあった記憶がありますが、メールや手紙を通して、本格的に有澤さんとの交信に入ったのは、2007年の12月、有澤さんが癌の告知を受けられた時からです。
その時から、手紙やメールを通じて、わたしたち夫婦と有澤ご夫妻との交わりが始まりました。たまたま、2008年の2月に、わたしの継母が他界した折に、葬儀に参加するために札幌へ行くことになり、この機会に、と思い、ご夫妻と連絡を取って、札幌のグランドホテルの一室で、初めてご夫妻とお会いすることができました。お会いした時、とても初対面とは思えない懐かしい感じがして、挨拶も抜きで、御霊にある信仰の問題について語り合い、ご夫妻と祈りを共にすることができました。札幌滞在の忘れがたい思い出です。
交信はその後も有澤さんが天に召されるまで、断続的に続きました。その間、北海道の天塩に在住し、有澤ご夫妻と信仰の友でもある園田加代子さんから、兄の容態や治療について、度々メールで連絡をいただきました。
以下は、その間に交わされた手紙やメールなどによる交信の記録の中の主なものです。交信の合間に、有澤さんは、わざわざ電話をくださって、共に祈り合うことができました。兄が最期に「ありがとうございました」と電話口ではっきりと語られたそのお声が、今でも耳に遺っています。
この交信の記録を『コイノニア』に載せることを承諾してくださったご家族の方々、特に、わたしからの便りをわざわざ送り返してくださって、この交信の記録にご協力くださった有澤比佐子さん、長女桂子さん、次女の道さん、交信内容を載せることを承諾してくださった園田さんに、改めて御礼申し上げます。 goka
【有澤松司さんの略歴】
生年月日 昭和8年5月22日
最終学歴 旭川学芸大学
最終職歴 天塩高等学校長
受洗日 2006年9月10日
入院と告知 2007年12月19日(20日告知)
最終入院 2009年2月20日
召天 2009年3月31日
【信仰の証し】有澤松司。
ハレルヤ! 証の文を送ります。ありのままです、拙文お許しください。
病気らしい病気もせず、ひたすら家族や自分を守るために生きてきたような半生でした。まあまあ・・・・かと、一息ついて周りを見ると、2人の娘達も家族持ちになり、皆がクリスチャンでした。何だか一人取り残された感じで、ちょっと淋しいなあ、なんて思っていた頃、妻の母が召されました。安らかな寝顔でした。クリスチャンとして、多勢の兄弟姉妹におくられ神の子として天国に旅立って行きました。
その頃から、年のせいか死について考えるようになり、いずれ自分にも来る、さけて通れない道だと思えば、夢中で生きてきた緊張感もなくなり、妻と二人で聖書を読み始めました。永遠に刻み続ける時の流れに不思議な世界を感じはじめました。イエス様は、歴史的にも存在し、西暦の出発点となり、永遠の未来へと続いていきます。今も生きて私達家族の平安の柱となっています。それぞれの心の奥深いところで、父なる神と対話し、その日その日の平安を祈る妻の姿に心を打たれました。
その頃娘や妻に誘われて、或るアメリカ人宣教師の教会の聖日礼拝に参加しました。その時「あなた方は心の座にドッカと自我を座らせて、自分の思い通りに生きようと頑張っていませんか?」「そこに神様を座らせてごらん、自分は一歩下がって、何を選択し、どう生きたら良いか相談し、神様にすべてを委ねてみなさい!楽になりますよ・・・」
これには驚きました。早速牧師さんと話し合ってみると、思いもしなかった神と私の奥深い関係、即ち神の愛、神の計画、ひとの罪、キリストは私たちの身代わりとなって十字架で死なれ、三日目に復活したことや、私達は信仰によってキリストの愛を受け入れることができると話されました。この奥深い意味によって自分のこれまでの生き方を変えなければ、この小さな自分は地上の塵やほこりのように消え去ってしまうのでは・・・・という感慨に少しずつ変わりはじめました。聖書の中のヨハネ福音書の冒頭の「初めに言葉があった ことばは神と共にあった 言葉は神であった・・・」の深い意味に触れ、それから聖書のみ言葉のすべてに、今までとは違った意味を感じるようになりました。
長い時間を要すると思いますが、次第にイエス様が一つの人格をそなえられ、私のそばで話してくださるように感じられ、罪深い人間を救うため十字架にかけられ、ご自分の命をささげるという衝撃的な歴史的事実に心打たれ、その後キリストとして永遠に復活され、この私にさえも限りない愛を注ぎ続ける方と信じ、家族と共にその深い慈愛に包まれるよう、また多くの自分の罪を悔い改めるために洗礼を決意しました。いつもあたたかく励まし祈ってくださった兄弟姉妹や家族に一日も早く真の意味での交わりをお願いし、信仰の道を歩み、深めて生きつづけたいと決心し、グレース教会の扉を叩くことになりました。
今はようやく落ち着いて、毎朝、心を静めみ言葉をいただき、溢れるばかりの愛に包まれて、自分の中に育ちつつある御霊の力を受け入れ、感謝と喜びに充ちた幸せを感じています。
「わたしが来たのは、羊が命を得、またそれを豊に持つためです。」
(ヨハネ福音書10章10節)
在主 有澤松司
(この間に癌の告知を受けました。)
【来信】私市元宏様へ。有澤松司より。
主を賛美しつつ。
どん底につき落とされた時にいただく、透明で力強い・・・・先生からの激励そしてお手紙。どれ程力づけられた事でしょう。
富良野から遠く離れたことや検査の連続等々・・・・それに抗癌剤の注入までの数々のSteps! 約2週間かかり、今やっと極所的に2本の動脈注入術により治療が始まり4日目に入ります。心配される副作用も、今の所最小限に止り、今一番平安な時を刻んでおります。改めて感謝の気持ちに満たされている今の私から篤くお礼を申上げる次第でございます。
先生の激励にある言葉の中にある「霊風無心」、何と素晴らしい言葉でしょう。今も益々私の心の奥底で響き続けています。ありがとうございます。数多くのみことばに力づけられます。中でも、
今朝神は私と共におられます。
サタンよ!こう書いてある。「キリストの打ち傷によって、私は癒されました。」
主は私のあらゆる病気をいやされます。
キリストは私のわずらいを身に引き受け、
私の病気を背負ってくださいました。
とあるこれらのみことばに集中して告白を続けています。先生の強力なお導きと共に、心の奥底で告白を続け証しさせていただく毎日でございます。本当に心からお礼を申し上げながら、今夏機会に恵まれますれば、富良野・札幌などで共にお祈りさせていただき、できれば御案内をさせていただきたいものと張切っております。主にあって先生の益々のご活躍とご健康をお祈りいたします。
2008年1月10日
【返信】有澤松司様へ。私市元宏より。
園田さんより、有澤さんのカテーテルによる抗ガン剤の直接投与の方法についてのご連絡を受けました。最初の投与の日程と時間を知らせるメールを開いたのが、手術当日の午後9時頃で、午後1時から9時間ほど(午後10時)かかるとあるので、妻久子に知らせますと、彼女はちょうど、あなたのことを祈り終えたところだと言っておりました。わたしは当日の朝祈っていましたが、実はその前から、あなたがラザロのように新たな命に生き返るのではないか、というヴィジョンが与えられていたのです。このことは、園田さんにはお伝えたのですが、有澤さんには今までお伝えしませんでした。でも、改めて、この信仰による祈りが与えられましたので、お便りすることにしました。
これからもまだ治療が続くと思いますが、人の想いを超えた主様の御霊の支えに助けられて、忍耐強く希望を持ってお受けくださるよう祈っています。今度のことが、単に身体的な危機からの脱却ということだけでなく、霊的、信仰的な意味においても、貴兄に新しい霊性への自覚が与えられるのではないかと思っております。
厳冬の中での治療に耐えておられる貴兄に、やがて春が訪れて、新たな命によみがえり、主様の証し人として使命を果たすことができますよう、心からお祈りしております。主はあなたを最後まで支えてくださるでしょう。焦らずに静かにお過ごしください。
主にあって。
2008年1月10日
【来信】私市先生へ。有澤松司より。
厳冬とは言え最近の北海道は昔日の厳しさは感じません。気象の変化という単純なとらえ方でよろしいのか、もっと深い所に変化の兆しを読むべきなのか、私には到底分かりませんが、不思議な感慨に耽る今日このごろでございます。
さて私事この度の突然とも言える程の衝撃的な試練に直面し、正直に申上げて、一体何を医師が話しているのか、誰のことなのか、妻と次女、教会の牧師さんと私の4人で淡々とした心境で聞いていたことを、かすかに記憶している程度で、さ程の衝撃に打ちのめされた感もありませんでした。どうしたのでしょうか。しかし夜になり病院の一画で我に帰った時はさすがに千尋の谷に突き落とされたような強烈な打撃に打ち砕かれたような自分があり、そこから這い上ろうと、何かを求めてもがいている自分に気がつきました。まぎれもなく主の御霊の支える光が見えたのだと思います。
めまぐるしい医療処置の展開で、沈み込んでいる暇がなかったのかも知れません。いずれにしても現状は認識せざるを得ません。どう戦うのか?また、どう受け入れるのか、方策など思い浮ぶはずはありません。しかし妻や子にだけは苦しむ姿を見せてはいけない。そのために何をなすべきかと考えた時、ふと十字架が網膜に浮かんだのだと思います。思えばその時、ごく自然に表情に笑みが浮かんでいたのかも知れません。後で妻の比佐子や次女の道(みち)から言われました。お父さんの笑顔を見て私達やっと一息つけた・・・・と。
先生、何かありますね・・・・私は今も夢中で術を受け、副作用と戦い、只ひたすら主の御霊に助けられて今、この瞬間があると感謝することで精一杯です。が、先生の力強いはげましのおことばや、多くの兄弟姉妹たちの力溢れる激励メールや、多くの「みことば」をいただき力が充ち充ちて来るのを実感しています。感謝です。
これからは日毎に心を鎮め「キリストのみ霊」との交りを叫び求めていきたいと思います。どうか力強いご指導を賜わりますよう心からお願い申し上げます。又奥様にも心のこもるお祈りを長時間にわたりいただきましたことについても、くれぐれもよろしくお伝え下さいますよう、お願いします。乱筆の上更に乱文申訳けございません。お許し下さい。
2008年1月15日 夜
【返信】有澤松司様へ。私市元宏より。
有澤さんへ。お心のこもったお便り拝見し、ご返事の葉書を出そうとしたときに、再度お便りを頂きました。極寒の地での闘病の中で、かくもしっかりした内容の自筆の手紙を書くことができる兄の霊性に、深い感銘を受けました。洗礼を受けてまだそれほど時が経ってはいないと思いますが、すでに貴兄には、お言葉がしっかりと根付いているのを読み取ることができます。わたしのほうこそ、慰めと安心を与えられます。ほんとうに感謝です。
すでにカナダのお嬢さんと園田さんから、治療の様子などをいろいろ知らされております。お嬢さんのメールからは、父親ヘの愛情がにじみ出ていて、そのお人柄がよく分かります。
お会いして、札幌で、二、三人の兄弟姉妹方と主にある交わりができればほんとうに感謝ですね。なお、今後は、長文の便りは控えてください。お体に触るといけませんので。主の見守りを祈り続けます。大丈夫支えられます。
2008年1月19日
(この間に、有澤ご夫妻と札幌グランドホテルでお会いして、語り合い祈りを共にしました。)
【来信】私市先生へ。有澤松司より。
奇跡とも思える先生との札幌でのお交わり、神の遠大なるご計画とは言え不思議でなりません。尊敬する私市先生とお会いできるなんて、私にとっては大変大きな出来事になりました。
まさか、この時に・・・・、『コイノニア』でいつも読ませていただいている先生と本当にお交わりができるなんて・・・・祈りの中で聖霊のバプテスマを授かったとの霊的な体感を全身に覚え、暫くは、ただ茫然としているだけの状態が続きました。月曜から第5回目(隔週で5回なので計10回目)の抗癌剤投入治療に入りました。治療による戦が始まっているのも忘れている程の心境でした。自分を分析して考えて見るなど全くできません。
何か大きな喜びと言うのか、安心というのか、希望のような明るい兆しが感じられてなりません。日毎に身体が軽くなるようで、ジェムザールの副作用も、これまでとは比較にならない程軽く、食事も今までになく、ほとんど残すことなく食することができ、担当医や看護婦さんたちを喜ばせています。明日3月9日で第5回目は終わります。その後一週間の休みを与えられ、自宅に帰ることができます。ここでまた次週の戦に力を蓄えます。なぜか爽やかな気持ちで祈り、深い鎮まりの中で主様との沈黙が続く今日此頃です。できるだけ雑念を避け、「主と共に在る」「主が私の内に宿っておられる」という思いで祈っております。
まだほんの入口に立ったばかりの私に言えることは、それ以上何も言うことがありません。只祈り続けるばかりです。ここまで導いて下さった先生の愛に満ち溢れるご指導に心底より感謝いたしております。
札幌にも春の兆しが感じられ、連日暑ささえ思わせる陽気となってきました。初夏の北海道は先生もよくご存知ですね。是非ご案内させていただきます。勿論その時には元気だと信じています。
本当に思ってもいなかった時、それは神のお創りなった美しい時であり、どれ程大きな力となって私を支えて下さっているか言葉になりません。感謝と祈りの中で新しい創造の世界に生かされていることをかみしめながら生き続け祈り続けたいと思います。
2008年3月8日
【返信】有澤松司様へ。私市元宏より。
厳冬の北海道もそろそろ雪解けの季節に入る頃でしょうね。
お会いした折の第一印象は、癌の治療を受けている方とはとても思えないほど健康そうで、落ち着いた方だということでした。今回のお便りも、これが抗ガン剤の治療中の方の手紙かと、驚きと感謝をもって読ませていただきました。奥様始め、ご家族や信友たちの深い愛と祈りがあってこそ、御霊の主が、あなたをこのように支えておられるのだと実感いたします。
お二人そろってお会いできたことも、とても感謝でした。帰ってから妻の久子に、札幌での出会いを伝えています。彼女もあなたがたのことを祈りに覚えております。あの折に、不思議に言葉が与えられて、予期しなかったことを次々と語り出したので、自分でも不思議な思いがしました。御霊にある霊性は、とても言葉で語り尽くすことができません。聖霊体験も奥が深く、「御霊の体験におごることなく、御霊の体験を深める」ことをお伝えするのが精一杯であったと今思い返しております。
五つの治療サイクルをすでに経過されたとのこと、すごいですね。「主は五度(たび)我を守り給えり。六度目、七度目もまた然らん」です。経済的な困難。精神的な落ち込み状態。家族関係の問題。これらの様々な悩みにある若い人たちに、あなたの主にある平安の話を伝えてあげたい思いです。現実は必ずしも容易ではないこともお察しします。しかし、霊慰妙法、たとえ辛くとも、変わらぬ御霊にある主の見守りを祈っております。
主にあって。
2008年3月12日
【来信】私市元宏様へ。有澤松司より。
さすが北国、記録的な猛吹雪!私にも初めての道東4月明けの記録です。先生にお会いして久しくなる感の今日此頃ですが、穏やかな笑顔の中にも強烈な霊性がきらりと輝く瞳が印象に残っています。お会いいただき、深い祈りと共に、主のみ霊とのコイノニアを体感させていただき、本当に恵まれた日となり、いつまでも心の底に克明な残像として焼き付いています。感謝です。
時の流れは速いもので、先生に病気のその後についてお伝えしたいと思っているのですが、何しろ医療については全くの専門外で表現に正確さを欠くことになります。兄弟姉妹達も皆さん篤い祈りの心で私に関する情報をお待ちのせいもあってか、例外なく吉報を信じて待っておられるわけで、何か小さな変化がどこからともなく入ると、あっという間に一人歩きし始め、気が付くと全快!?になったりして、かえって迷惑をかけてしまうこともありました。できるだけ誤解のないように、また過大評価にならないように注意しております。
先生と私の家族達には、事実と現状を、私なりの表現で伝えさせていただいております。
膵・肝(転移三カ所)は治療の効果があり、12月20日のCTスキャンと比して驚く程小さくなり、肝転移で一番大きくなっていたもので、約5ミリに、膵ぞうは30ミリ径のものが、半分以下(医師の表現はこの表現ではありません)。医師団では、前方から見た大きさと下から角度をかえて見たものを総合して、「かなり小さくなっており、医師団・看護師団もとても喜んでいます」と担当医が頬を紅潮させてお話下さった時のことが、いつまでも印象に残っている程です。
次に腹腔部、小腸部位の上から3分の1ぐらいの所に、楕円形のカゲが12月20日の検査時点で確認されておりました。それが何であるか確定出来ないままようすを見ていましたが、変化が見られないとはいえ、早めに対応した方がよいのでは・・・・・と言う見方もあり、私も祈りの中で、家族のひとり一人と祈り、放射線治療を行なうよう、医師と相談の上決断しました。これが今週末(金)より 約3週間にわたり始る準備に入りました。これからしばらくの間は病院での治療になります。主に委ねつつ私なりに祈り続けます。主のみ霊にある私の自由な決断は、必ず実を結ぶと信じています。
先生から送っていただく『コイノニア』で、ヨハネの講話を読み続け、祈りの質を深めるべく、又霊性を高めるためにも、みことばを沢山いただきながら交わりをさせていただいております。感謝の気持ちでいっぱいです。最後になり恐縮ですが、いつも覚えて下さり、お祈り下さる奥様に、くれぐれもよろしくお伝え下さい。購読への感謝を込めて、わずかですが同封させていただきます。
いよいよ春!そして初夏の薫風!何としても元気になって、先生御夫妻を道央にご案内させていただきたく思い続けております。
2008年4月2日 病院にて
【返信】有澤松司様へ。私市元宏より。
広沢池の畔の桜が今年は特に美しく、見事に咲き誇って、「さくら、さくら、」の歌通りでした。早くも今日、4月8日頃からは、風に吹かれて花吹雪が舞い始めています。お便り深く感動して読ませていただきました。膵臓と肝臓との治療に加えて、今度は小腸の放射線治療を御決意されたとのこと、今頃は、その治療に入っておられるかとお察ししております。人間的な見方からすれば、驚くほど長期間の治療に耐えておられるお姿には、深く敬意を表します。お会いしたときも、これが現在癌の治療を受けておられる方なのかと、驚くほどお元気そうであったのを今思い返しています。
貴兄が、奥様を始め、ご家族、集会の方々の篤い祈りに支えられているのを改めて悟らされました。この祈りこそが、治療を最後まで全うさせてくださる主様の御臨在への大きな力となっているのを覚えます。わたしたちの祈りが成就するのは、わたしたちがそう願うほど早くはなくとも、わたしたちが思うほど遅くはならないと言われます。どうか、焦ることなく、静かに、身を主のみ手にお委ねして、治療をお続けください。心に波風が立たないなどとは申しませんが、その波の上を踏んで訪れてくださる主様の御臨在を深く信じて祈らせていただきます。必ず御快復の時がくると信じております。
ご多用中にもかかわらず、多額の御献金、恐縮です。何年分かの『コイノニア』への献金として受け取らせていただきます。妻の久子共々、兄のことを祈りの内に覚えさせていただきます。奥様に、どうぞよろしくお伝えください。主様の深い憐れみと愛にあって。
2008年4月8日
(この間に有澤さんから電話がありました。治療の合間で、富良野の自宅に帰っていること、食も進み、痛みもほとんど感じないので、自分でも不思議なほど元気で、奥様と富良野の野外へ出かけたり、恵まれた時を過ごしておられると話しておられました。)
【返信】有澤松司様へ。私市元宏より。
北海道も今は爽やかな季節ではないでしょうか。こちらは、梅雨時とは言え、夏日のような日もあって、暑いくらいです。園田さんから、ご療養のご様子を少し知らせていただきました。まだしばらく忍耐の時が続くのではないかとのことでした。どのような場合でも、紆余曲折は付きものですから、どうぞ今しばらく忍耐の時を主のみ手にあって支えられてください。今まで示してこられた貴兄の信仰と忍耐に、深く敬意を表するものです。奥様とご家族の祈りに支えられて、最後まで全うされることを祈っております。
2008年6月17日
【返信】有澤松司様、奥様へ。私市元宏より。
大暑が過ぎても、京都では暑い夏の日差しが続いています。先日、園田さんから、その後の有澤兄のご容体と治療のことをお知らせいただきました。
実は、かなり前に、兄の治療が順調に進んでいた頃と思いますが、わたしが、園田さんにメールして、「有澤さんの治療は、難しい段階になる時が来るかもしれない。しかし、それでも、主様は、最後まで彼を支え抜いてくださると信じています。ただし、このことは、有澤さんには告げないでください」と書き送ったことがあります。今度の園田さんからのメールを読んでも、この気持ちは変わりません。そもそも、初めから、人間の力を超えたイエス様の御霊のお働きに頼る信仰ですから、人の力が弱くなっても、決して、くじけず、もっと弱くなってくださってかまわないのです。主様のみ前に力を抜く、そんな努力も、もはや要らなくなっても、それでいいのです。
奥様も、さぞや、お疲れだと思います。ご一緒に、ただ主にお委ねしてください。決して、自分の至らなさを攻めるようなことはしないでください。肉のからだの朽ちる時、霊のからだが、そこに新たに創造されているからです。その創造に包まれて、肉の体も再び、立ち上がる時が来るでしょう。これがわたしの祈りです。
お二人で、力を合わせて、最後まで希望を捨てず、治療をお続けください。私たちも、祈っております。霊慰妙法の主にあって。
2008年8月7日
【返信】有澤松司様へ。私市元宏より。
園田さんから、有澤さんの御病状について連絡を受けました。驚きと同時に、ご本人こそ何よりも驚きであり、衝撃であろうと拝察いたします。園田さんから、ご病気からの快復を祈ってほしいとのご依頼を受けました折に、霊能的な奇跡を求めることもいいのですが、それよりももっと大切なのは、試練や困難に直面している魂の深いところに届く主様からの御霊の愛であり輝きであって、このような霊性こそ、悩む魂にとって何よりの慰めであり力ではないでしょうか、とこう返事に書き送りました。霊能よりも霊性こそ、イエス様の御霊のより深いたまものであるのを覚えます。
今度の会誌冬号の講話の中で、イエス様がわたしたちにお与えくださる平安は、「この世の支配者」に勝つお働きをされると書きましたが、わたしたちの肉体の状態がどのようであれ、わたしたちは本質的に「恐れとおののき」を宿す存在です。そのような「恐れと不安」のまっただ中にあって、それでもなお働いてくださるのは十字架の苦難を通り抜けて復活し、この世の支配者に勝利したイエス・キリストの御霊であることを思います。
主イエスの愛と慰めの御霊が、あなたの魂を支え、その深いところから新しい命の目覚めへと導いてくださいますように、心からお祈りします。厳冬の北海道で、雪の下から芽生える福寿草のように、永遠の主様からの命が、あなたの内に働き、病を鎮めて、その霊と心と体とを快方へと向かわせてくださいますように。
御病状の経過を見て、折あらば札幌を訪れて、しばし祈りを共にできる機会が与えられることを祈っております。無力の内に働く御霊の力あり。霊風無心。主のみ手にお委ねして、クリスマスと新年をお過ごしください。主にあって。
2008年12月22日
【来信】先生御夫妻様へ。有澤比佐子より。
日ごとに弱ってきています。今日から輸血をしています。内蔵のどの部分から出血しているのかはわからないが、身体が弱るので明日また輸血をするそうです。月曜日にはホスピスの病院から連絡がきますので、入れるかどうか決まります。ホスピスケア病棟の診療部部長がドクターであり牧師さんでもあられるかたです。小林良祐先生です。賛美も祈りも自由にできます。今までに出来る限りの治療はしつくしました。
私達は何よりも魂の平安を求めますので決心をしたのですが、沢山の方が待っておられますからどうなりますか。ほとんど意識も混濁しており言葉も聞き取れない状態ですが12日の朝はっきりした声で言いました。「私は天に昇っていきます、はっきりと見ます、今それを見ています。」 また、「私は今あなたと共に旅立ちます。」これを二回はっきりとした声で言いました。 今の状態はかなり難しい状態と言われています。別れは悲しいことですが、私達には再会の希望がありますから主に信頼してまいります。いつもお祈り感謝しております。有難う御ざいます。
(この間、有澤さんから電話があり、祈りを共にしました。)
【返信】有澤比佐子様へ。私市元宏より。
病棟の診療部の部長が牧師さんであるとのこと、ほんとうによかったですね。
自然の体は、霊の体が実を結ぶための大事な土です(第一コリント15章44節)。
土は種をはぐくみ、種は土に依存して実を結ぶからです。自然の体とは自然の人格。霊の体とは霊の人格のことです。有澤兄の体と心は、最期の最期まで、イエス様の御霊にある兄弟の霊の人が、実を結ぶための大事な存在です。どうか祈りを持って最期まで大切にお過ごし下さい。
たとえ仏教的な霊性が現われても気にすることはありません。イエス様の御霊は、兄弟を造られた大きな神の聖霊ですから、兄弟の全部を包んでくださいますよ。心配は要りません。
兄弟の平安が、主にあって最期まで支えられることを確信を持って祈っております。感謝です。奥様もご家族も、心静かに、兄弟のためにお祈り下さい。
【返信】有澤比佐子様へ。私市久子より。
有澤兄弟と電話でお話させていただいた時を思い出します。病気とは思えないしっかりしたお声を聞いて、神に感謝しました。それから奥様と園田さんのメールから、兄弟が、厳しい闘病の中で、強い意志を持っておられるにもかかわらず、肉体が弱って行かれる苦しさを思い、兄弟の尊厳が守られていくことを一心に祈っておりました。
今日、奥様からのメールで、兄弟の信仰に満ちたお声を聞き、復活の話を電話でしたことを思い出して、涙があふれてきました。心の中も熱くなりました。
主は、兄弟と共に、また奥様を始めご家族の皆さんと共にいてくださることを信じます。どうかお身を大切に、園田姉妹にもよろしくお伝えください。
【来信】私市先生へ。園田加代子より。
主様の御名を讃えます。
先生、先程有沢姉妹から電話が入り急ぎMailしています。(22日午後9時過ぎ)昨年からつい先日まで、先生からのMailにありましたように、お元気そうに普通生活を送っていました兄弟でしたが、この木曜日に自宅で強い痛みを訴え入院されました。
今現在、点滴による痛み止めの処置をしていますが、時々意識が戻る他は副作用による幻覚・もうろうとしている時間が長いそうです。
昨年(2008年)の12月に、再び余命3か月と言われていたそうで、本人もご家族も時間を大切にただただ感謝して過ごしていました。まだ、大丈夫・・・・・と、思っていた矢先のことですので、奥様も動揺しています。最後までイエス様にお委ねしたいと言っていましたが、先生に連絡して是非お祈りで助けて下さい!とのこと。また、いつも奥様共々祈って頂き、どれ程励ましと元気を頂いてきたことか・・・・・どうぞ、よろしくお伝え下さいとのことでした。
私市先生のMailにありました通り、病人とは思えない程の力ある声と信仰の兄弟に最後の時間が近づいているとは信じられません。先生、どうか、どうか、お祈り下さい。
また、連絡致します。
2009年2月22日
【返信】園田加代子様へ。私市元宏より。
有澤さんのことで御連絡有難うございました。22日はコイノニア会の例会で、1日を過ごしました。有澤さんのほうは、祈る度にふしぎな平安が来るのです。兄弟の肉体とは別な命が兄弟の肉体をも含めて彼自身の霊性を支えていてくださることを知ることができます。
霊の種は肉に蒔かれていますが、肉にあって肉とは別に育つのですね。最後の最後まで、主の御霊の御臨在は有澤ご夫妻を離れることがありません。感謝です。
お写真拝見しました。宗谷の冬はすごいですね。いつか、増毛のほうから北へ行ってみたいです。北辺での福音の証し人としてどうぞ御体を大事に主にあってお励み下さい。
2009年2月23日
【来信】私市先生へ。有澤比佐子より。
いつもお心にかけてくださり、祈りささえていてくださいまして有難うございます。とても嬉しく、心強く思っております。夫も闘病生活1年が過ぎましたが今日まで、主に守り支えられ生かされてまいりました。主は私達をこんなにも憐れんでくださって苦難の中にありながら、いつも喜びと平安のなかにおらせてくださっています。今までは、痛みや心の落ち込むことがあっても、いつも前向きに希望をもって心から主に賛美を捧げておりました。私の方が慰め励まされてきました。この頃では夜になると心が沈み、死にたいと涙を流し、少し鬱のような傾向にあると医者から言われました。病状には変化はなく胆道のほうもこのまま様子をみるようです。これからは色々症状もでてくるでしょうが、命を捨てる程私達を愛された主です。
私達の思いをこえて主御自身が一番よいと思われることをなしてくださると思っています。主におゆだねしたのです。ですから最後まで主を信じ日々感謝をもって過ごしていきたいと思っています。
多くの兄姉の祈りそして先生御夫妻の祈りに支えられて今日までくることができました。心から感謝申しあげます。メール習い始めで上手にできません。お許しください。
2009年2月25日
【来信】私市先生へ。有澤比佐子より。
医者の先生から「抗がん剤の治療を続けて苦しませるのも可哀想に思う、これは自分個人の思いです」と言われました。私達も同じ思いですが、先生が言うには、本人の意志が大事なのでそれを確かめたいけれども、今の夫にはそれが判断できるかどうかなのです。
先生はこれからするとすれば、今入れている管を太くして詰まるのを防ぎ、神経ブロックで痛みを止め、他の痛み止めを減らして自宅で残りの時間を過ごすということを考えておられるようです。
2009年3月3日
【返信】有澤比佐子様へ。私市元宏より。
わたしたちには、御主人の現在の正確な容態が分かりませんので医者の先生の言われているのが、現在では、最も適切な処置なのであろうと思います。わたしたちが、今考えることは、
(1)まず御主人の意識がはっきりと戻ることです。
(2)このことは、彼が、自分で祈ることができること。
これによって、心の平安を取り戻すことができることです。
(3)御主人が、ご自分で自分の病状を判断できれば、そのためにして欲しい治療のほうも、またその道も開けるのではないか? こう思うからです。
(4)今特に大事なのは、奥さん自身が、疲れのために体調を崩すことがないように、心と体を休めることです。
事は、「頑張って」どうする、こうするという問題ではありません。ひとまず、現状のままで、静かに祈りつつこれからの病気との接し方を思いめぐらすときではないでしょうか? 差し出がましいことは言えませんが、どうぞ、ご家族で判断されて最適と思うようになさってください。後は、主が、必ず導いて最善の道を与えてくださる。こう信じ、こう祈ります。わたしたちはお二人のための祈りを絶やすことなく続けるつもりです。どうぞ、心を安らかに、静かに対処されてください。
主にあって。
2009年3月4日
【来信】私市先生へ。園田加代子より。
主様の御名を讃えます。
3月を迎え、今少し春の気配には早い天塩です。先程、有澤姉妹より電話が入りました。
前回、自宅で痛みを訴え、入院されていましたが、意識が朦朧とした状態が続いていました。現在は神経ブロックを施術し、痛みの方は緩和しているのですが、意識が現実と妄想の間を行ったり来たりしているとのことです。はっきりしている時は、お世話になった方々への感謝とお別れのお祈りを捧げ、朦朧としている時には、自分史の中で経験した様々なこと、クリスチャンになる前までの長い間に積み上げた仏教への関心が出て来ているそうです。
病院では自宅に帰して、自宅で最後を迎えて欲しいそうです。しかし看護が大変なため、札幌でお世話になっています牧師先生(メノナイト・グレース教会牧師 芹田先生)と相談した結果、ホスピス病棟のある病院に行けるよう、これからお願いに行くそうです。ホスピス病棟の先生はクリスチャンで賛美に溢れる病棟ということで、最後をここで迎えたいので、私市先生にお伝えし祈って欲しいとの電話内容でした。
2月はじめまで、お元気なお声で話していた兄弟が目に映ります。有澤姉妹はここまで生きられたこと、信仰に頼っている姿と深さをみることが出来て感謝だと言っています。緩和治療がいつまで続くのか分かりませんが、その間、意識をしっかり持って主と共に過ごせますようにお祈り下さいとのことでした。
先生、私からもどうかお祈りをお願い致します。主の憐れみの中で。
2009年3月13日
(この間に、有澤さんから電話があり、兄と最後の祈りを共にしました。)
【来信】私市御夫妻さまへ。有澤比佐子より。
メール有難うございました。いつも祈り支えてくださり感謝いたします。御夫妻の祈りに支えられて今日まで来ることができました。5日程前から飲みたかった水、「とろみのついた水」、ゼリー、プリンなどが食べられるようになりました。「せんもう」と言う症状だそうですが、昔と今が入り混じり言葉が聞き取れないものですから、残された大切な時間お互いに話せない辛さがありました。寝ていても起きていても身の置き所がない身体の辛さをどうしてやることもできないのです。薬で痛みを取ることは出来ても、この終末の辛さを取ることが出来ないのが医者として辛い、と先生が言っておられました。先週の日曜礼拝を病室で牧師様、兄弟姉妹と共にいたしました。微かながら賛美をし涙を流し、祈りにアーメン・・・と。昨日は驚くほど元気そうにみえ、私市先生に伝えてほしいと娘に言ったそうです。夜おそかったのですがお電話してしまいました。
わたしもこれから病院に行きます。本当に有難うございました。先生のお言葉、夫に伝えます。きっと喜びます。
2009年3月29日
【返信】園田加代子様へ。私市元宏より。
3日ほど前に有澤比佐子さんから電話があり、久子がでました。有澤さんはホスピスの病院に移られて、牧師の医者に診てもらっているとのことでした。麻酔その他の薬のためか意識が混濁した状態で、その事で心に不安を抱えているようであったとのことです。
しかし、この二、三日は不思議に意識が戻り、それと共に主にある平安が取り戻せるようになったとのこと、そのことをわたしたちに知らせて欲しいと有澤兄が望んだので、奥さんが電話を下さったわけです。
一昨日29日、夜再び札幌の病院から電話があり、有澤兄が直接電話をしたいとのことで、兄と電話で話し合うことができました。「有難うございます」「感謝です」という声をはっきりと聴き取ることができました。共に電話口で祈りを共にしました。後で奥さんから聞くと、兄は麻酔その他の薬を受けている状態で、このように意識がはっきりしたのが不思議だと話していました。
昨夜30日に、奥様から電話があり、医者から今日から明日の未明くらいまでが限度ではないかと告げられたそうです。昨夜妻と二人で祈りました。それにしても、兄が突然意識を取り戻して、電話で語り合い、祈り合えたことが不思議です。実は、これとよく似たことが、以前、京都のコイノニア会のメンバーの御主人が亡くなる前日に起こったことを思い出しました。
以上簡単ながらご報告します。北海道はまだ薄ら寒いでしょうね。ご健康と主にある霊性を祈っています。
2009年3月31日
【来信】私市先生へ。園田加代子より。
メールを有り難う御座います。
先生の御連絡通りの経過をたどり、兄は昨夜11時31分に奥様、次女道さん、芹田牧師の祈りの中で静かに天に召されました。
明日のご葬儀とのことで、私も明日、富良野に移動致します。病の闘いに頑張ってくれた兄には感無量で言葉もありません。今、兄は主の元で安らかだと思います。帰宅しましたら、再びメールさせて下さい。