御霊にある祈り
コイノニア会交信より
【来信】2014年7月1日
私市 先生へ:
祈りとは本当に不思議な事です。今日、何をどう祈るべきか自分では全く考えが浮かばないまま、ただ、御前にひざまずきました。すると、直ぐに、何か体も心も重苦しい気配に包まれました。
同時に、ああこれは、Kさんの今の状態であることが理解されました。どうにか元気を出したいのに、心も体も何かに縛られているような重い感じでどうすることもできません。ここから今日の祈りは始まりました。
「父なる神様、今まで元気であった私の体は、病気でこのように状態になり、元気を出したくても、打たれた心は元に戻らず、体も重くて、重くて仕方ありません。今の私を形作ってくださった神様、どうか、どうか、ほんの小さな希望でいいですから、この私に希望の力を下さい。あなたから来るその小さな、小さな光で私は十分に元気になれますから。」
こんな祈りが私の奥底から止め処も無い涙とともに湧いてきました。主は、私の主は、この祈りを必ず聞き届けて下さいます。
【返信】
石田さんへ
そうなんです。御霊の御臨在にある祈りは、同じ主にある人たちと主客一如の霊性のつながりにあることを悟らされます。これが私の言う「エクレシア」です。日本のリバイバルが形成する霊性は、教派教団の拡大ではなく、こういう御霊にある交わりのエクレシアのことです。
お祈りありがとうございます。