【来信】身代り洗礼は異端でしょうか? 第一コリント15章29節からだと思うんですが、 死人(生前救われていない人たち、あるいは、イエス様を拒んだ人々) に対して、その人たちの親族の一人がその人の代わりに「水と霊」のバプテスマを受けることで、その亡くなった人の魂に対して救いをもたらすことが出来るという一風変わった儀式がある教会では行なわれています。先生はこのような儀式にはどのような考えをお持ちでしょうか? 私は、人がイエス様と出会い、 イエス様ご自身を受け入れ、 イエス様を唯一の救い主と信じて、口で彼を「 私の神」 と告白することが本当の救霊だと信じています。

【返信】ご質問に関して、私のほうから直接その教会の牧師さんへ質問いたしましたところ、次のようなご返事を戴きました。

  さて「身代わり洗礼」に付いてのご質問でございますがその基となるみ言葉は、コリント前書第15章29節です。初代教会と言われた当時、このみ言葉によりますと恒常的に「身代わり洗礼」が行われていたことがわかります。この世において救い主を知らず、また救いに入る事が出来なかった者の霊は、現在、黄泉(よみ=陰府)の世界に留められております。その死者の救いとは、その霊が @罪赦され、 A陰府の世界から天の世界に移されて、B来るべき大審判から免れて、永遠の生命に入ることです。
  しかし、その時の救われた状態は、この地上に在って「水と霊」(ヨハネ伝第3章5節その他)の救いに与かった者の状態とは異なります。救われた死者の霊は、天使と同じ僕(しもべ)の姿になると思われます。主イエス・キリスト様は、十字架におかかりになられ、万民を贖われ、墓に葬られた時、主イエスの霊は獄(陰府)に下り、ノアの大洪水の折、主のお言葉を拒んだ奸悪なる霊に福音を伝えられて死後にも救いがあることを教えられました(ペトロの第一の手紙3章19節〜20節)。また、「福音の、死にたる者に宣べ伝えられしは、彼らが肉体にて人のごとく審かれ、霊にて神のごとく生きる為なり」(ペテロ前書第4章6節)ともあります。   
エノク書のこと
  死者のための洗礼が可能かどうか? この問題をまず歴史的な過程にそって概観してみましょう。旧約の初期ユダヤ教の時代では、死者は陰府(よみ)の国にあって地上で生きる望みはなく、特に神に逆らった者たちは陰府の「獄」に監禁されていると信じられていました。
  ところで、旧約の偽典に「エノク書」というのがあります(ここでは『第一エノク書』=『エチオピア語エノク書』のことです)。これによると、創世記6章にでてくる「神の子たち/天使たち」は、「人の娘たち」によって子どもを生みます。ところがこの「天使たち」が、神に逆らったので罰を受けてある場所(獄)に監禁されました。エノクは、「神が取られたのでいなくなった」(創世記5章24節)とありますが、エノクは閉じこめられている堕落天使たちの所へ降り、これらの堕落した霊たちは<決して赦されることがない>と告げたと言われています。これは、初期ユダヤ教では、この天使たちの不従順がノアの大洪水の原因になったとされていたからです。これによれば、エノクが(死なずに)神によって天にあげられたこと。その前に? 陰府に降って獄にいる堕落天使に<最後の断罪の宣告>を行ったことになります。
最初期のキリスト教
  エノクは、メシア(キリスト)の予型とされていましたから、イエスをメシアと信じた最初期のユダヤ人キリスト教徒たちは、イエスが十字架刑の後に、「使徒信条」にあるように「死んで墓に葬られて陰府に降下した」と信じました。ただし最初期の教会では、キリストの死と陰府への降下については、ユダヤ教の伝統に従い、キリストは<人間として>死んだのだから、当然陰府に降った〔テルトゥリアヌス〕ということ以上の意味が与えられなかったようです。ただしそれまでと異なるのは、イエス・キリストが、<最初に陰府から出た人>となったことです。このようなキリストの陰府降下とそこからの昇天から、キリスト到来以前に死者となった旧約の義人たちはいったいどうなるのか? というユダヤ人キリスト教徒たちの疑問へと発展したと思われます。ここで、キリストの陰府降下が救済論的に理解され始めたのです。
  新約では、旧約時代のエノクの<堕落天使への最終的な断罪の宣告>とは反対に、キリストは<陰府にも勝利した者>として、「獄」につながれていた霊たちへも福音が宣べ伝えられたと解釈されるようになります。こういう解釈は、新約聖書のあちこちに見られます(ローマ10章7節/エフェソ4章8節/コロサイ2章15節/詩編16篇10節も参照)。
第一ペトロの手紙3章19〜20節
  このようにして、旧約のエノク伝承がキリストの降下と結びついて、「キリストによる霊たちへの宣教」と「ノアの大洪水」と「洗礼」(洪水はキリストによる洗礼の予型と解釈されました)とが関連づけられることになったのです。私たちはこの典型的な例をペトロの第一の手紙3章19〜20節に見ることができます。ただし、エノクの場合とは異なり、ペトロの第一の手紙3章では、獄にあった天使たちに福音が告知されたと解釈されます。もっとも、ペトロの第一の手紙(書かれたのは紀元後70〜100年の間か?)と旧約のエノク伝承とが直接に結びついたとは考えられていません。ペトロの第一の手紙では、不従順な霊たちが福音を聞くことになりますが、作者は、ノアの洪水で救われたのは「わずか8人」であったと述べています。これには、この手紙が書かれた当時のキリスト教会の状態が反映していて、広い世界にごくわずかのキリスト信者しかいないという自分たちの小さな教会の状態をば、ノアの箱船で救われた人たちと重ね合わせて、彼らを自分たちの予型だと解釈したからだと思われます。なお19節の<霊において>は議論を呼んでいますが、今はこの問題に触れません。
オリゲネスと「使徒信条」
  キリストが陰府において、霊たちに福音を<宣べ伝えた>という解釈は、さらに拡大されて、キリストの到来以前に死んだユダヤ人も異邦人もすべての死者に福音が告知されたという解釈へと発展することになります。このような解釈をした最も著名な人が、アレクサンドリアの代表的な神学者オリゲネス(紀元185?〜254?)です。彼は、悪それ自体もまた終末にあっては完全に消滅し、陰府それ自体さえも神へと戻ると考えたようです。ただしオリゲネスは、こういう解釈を必ずしも自己の正式の教義としたのではありません。正統派の司教として著名なエイレナエオスも、キリストの降下をすべての死者に対する救いの告知と解釈しています。
  <キリストの陰府降下>は、359年のシルミウム教会会議で初めて正式の問題として論じられました。これは、ペトロの第一の手紙3章に影響されるところが大きかったようです。こうして「使徒信条」(2世紀後半にローマで行われた信仰告白をもとに4世紀ころ西方教会で定着した)にある「イエス・キリストは、十字架にかかり、死んで葬られ、陰府に降り、三日目に死人のうちよりよみがえり」という言葉が、これ以後の正統キリスト教会の信仰となったのです。なお、オリゲネスの信仰は、<オリゲネス主義>として、その後も弟子たちに受け継がれることになりますが、6世紀の半ば頃に至って、西方教会で<オリゲネス主義>は異端とされることになります。
アウグスティヌス
  アウグスティヌスにいたる教父時代では、降下によって救われた霊は、かつて不従順であったが降下以前に回心していたという解釈もなされました。カトリック教会の正典とされているラテン語のウルガタ訳(4世紀)の聖書では、ペトロの第一の手紙3章19節は、「かつてある時不信仰であった霊たち」と訳されています。
  西方教会は、アレクサンドリアの東方教会の解釈に同意しませんでした。西方教会を代表するアウグスティヌスは、キリストの降下の伝承を否定して、ペトロの第一の手紙(4の6)にある「死んだ者」というのは、「地上にありながら霊的な死者となっている人たち」といういささか無理な解釈をしました。このようにして、5世紀にわたる古い教父伝統を彼は危険だと見なしたのです。
中世のカトリック教会
  しかしながら、<死者にも救いの可能性が与えられる>という伝承は、中世のカトリック教会に受け継がれました。人間は、この世を去って死んだ後でも、霊的に成長することができるとされ、したがって、死者の魂は、悔い改めて浄められることによって、天国へ入ることが許されるという教義が生まれたのです。これが「地獄と天国との間に存在する煉獄(プルガトリウム)」と「浄罪の火」の教義です。どのような魂が、この救いに与ることができるのかは単純に割り切ることができません。しかし、この教義は、現在でもカトリック教会の教義として認められています。
宗教改革者たち
  16世紀に始まった宗教改革では、救いは、地上に存在する人のイエス・キリストへの「信仰のみ」によってもたらされるという立場をとりました。したがって、プロテスタントの神学では、キリストの陰府降下の教義を回避する傾向が強いようです。これは当時の宗教改革者たちが、カトリックの教義に対立する意図があったからでもありましょう。彼らは、カトリック教会の「前地獄・リンブス」や「浄めの火」(死者は獄中にあったが、キリストは彼らをそこから解放して、彼らは中間の煉獄にあって浄罪の火のうちにある)に対抗したわけです。これに対して、カトリック側では、降下による救いを否定したアウグスティヌスに背を向けるようになりました。17世紀のルター派では、キリストの陰府降下は、救いから見放された死者に対して<救いではなく断罪のために>キリストが訪れたと解釈されました。旧約時代のエノク書の伝承に戻ったことになります。
宗教史学派
  18世紀になりますと、主としてドイツで興った宗教史学派が、再びオリゲネスの立場へ復帰することになります。これ以後19世紀を通じて、この流れは変わらないようです。19世紀の宗教史学派の影響を受けた無教会の内村鑑三は、晩年に「万人救済」の信仰に到達するに至りました。
現代では
  以上見てきたように、キリストによる死者の救済の解釈は、歴史的に紆余曲折を経てきています。現在では、この問題への見方は、大きく3つに分かれるように思います。
(1)死後の世界でも、人間には霊的成長と救済の可能性がある。これは煉獄の教義を持つカトリック教会の立場です。
(2)人間は地上においてキリストを信じるかどうかによってのみ救われる。したがって終末においても、これ以外にいっさいの救いは存在しない。この立場は、主として純福音系統のプロテスタント諸派に多いようです。
(3)死者は、キリストへの信仰者も非信仰者も共に、キリストの恵みのもとにあるが、終末には、キリストにあって、人それぞれの行いに応じて正当な裁き/赦しが与えられる。だから、死者の救済については、人間は、死者の霊をキリスト委ねることができるのみである。これはプロテスタント諸派と東方教会の立場に近いようです。カール・バルトの「使徒信条」の解釈もこれに近いです。
 この分類によるなら、<死者のために洗礼を行う>のは、(3)の立場に属すると言えます。だがこの儀式は、最初期のキリスト教会の儀式を採り入れた特殊な形態であると言えましょう。それでも、キリスト教全体の流れから見れば異端とは言えないようです。ある教会が異端かどうかは、もっと違った信仰の教えを軸にして判断すべきだと思います。
私の立場
  結論から先に言いますと、私は(3)の立場をとります。
(1)の立場については、カトリック教徒でない私は、肯定も否定もしません。ご存じのようにダンテの『神曲』は、カトリックのこの立場にそって書かれています。そういう信仰がありえることを心に留めながら私はこの詩を読んでいます。
(2)の立場は、かつて宣教師さんたちの教えを受けたことがありますので、私にはよく理解できます。しかし私は、この立場をとりません。理由は大きくふたつあります。
(i)この信仰に従うなら、キリストの福音を知らなかった過去のすべての人類は、地獄に堕ちることになります。人類が、死者への弔いを含む宗教を持つようになったのは、どんなに遅くても10万年〜15万年前からだと思われます。過去・現在、そして未来の全人類に比べるなら、新約聖書の信仰にあって、しかもプロテスタントの信じ方で死んだ人の数は、ごくごく微量です。これらの人類が、とりわけ<キリストを知らなかった>という理由で、地獄に堕ちると考えるならば、日本を含むアジアの全部の諸民族、アラブ世界のイスラム教徒、インドのヒンズー教徒など、過去から現在へ、そして未来のすべての人が地獄に堕ちます。こういうことを信じる宗教は、とてもおかしな宗教だと私は思います。
(ii)さらに私がこの信仰を受け入れないもっと大きな理由があります。<人が生きるか死ぬか>、これは人間にとって最も大きな問題です。しかし、<人が地獄に堕ちるかどうか?>という問題は、それよりももっと重大で深刻な問題なのです! なぜなら、地獄へ堕ちることは、死ぬよりもさらに恐ろしいことだからです。こういう重大な問題で、(2)の立場をとるならば、問われてくるのは、<地上でキリストを信じるか否か>では済まなくなります。この問題は、必ず、いったい<どんな信じ方で>キリストを信じるのかという問題に行き着くことになるのです。このような問い方をするならば、おそらくカトリック教徒は救われません。私たちのような信じ方をするプロテスタントも救われません。おそらくロシア正教徒もギリシア正統教会の信仰も否定されるでしょうし、アルメニアやエチオピアのコプト教会もだめでしょう。同じキリスト教でも地獄に堕ちる恐れがあるのなら、仏教や儒教やヒンズー教その他の宗教の信者たちは問題にもならないでしょう。私は、イエス・キリストとは、そういう尺度で人間を裁く方ではないと確信しています。
   <どういう信じ方で>イエス・キリストを信じるのか? この問題がひと度問われ始めると、いったい誰がその<信じ方>を決めるのか? が問われることになります。その結果として、ある特定の人(たち)が、救われるかどうかを決定する<信じ方>それ自体を決定するという恐れが生じてくるのです。地上でキリストを<信じない>者もキリストを<知らない>者も<地獄に堕ちる>というのは、とても重大です。なぜなら、信仰者にとっては、<地獄に堕ちる>のは<肉体が死ぬ>よりもはるかに恐ろしいことだからです。こんな恐ろしいことを、人々に向かって確信を持って伝えるためには、よほどはっきりした<信じ方>と<知り方>を把握していなければなりません。逆に言えば、そのような人(たち)は、自分たちのような<信じ方>や<知り方>をシナイ人たち、またシナカッタ人たちは、全員地獄に堕ちるという確信に到達することが予想されます。「自分が信じているとおりに信じない人は、すべて地獄に堕ちると確信している人。こんな恐ろしい人が世の中にいるだろうか?」これはあるユダヤ人の女性が私に言った言葉です。
  私が(3)の立場をとって、(2)の立場をとらないのはこのような理由からです。なお、たとえ(3)の立場であっても、すべてを恵みの主イエス様に委ねるならば、必ずしも死者のための洗礼を必要とはしないというのが私の立場です。

【再来信】私市先生へ:素晴らしご返事心から感謝いたします。これまでの歴史を吟味しながら数々の人物や 出来事によって浮かび上がった" 身代わり洗礼"。先生がおしゃったように歴史を振り返る必要があったようですね。何百年も前に起こった事が元になっている事を知り"なるほど"と、 信仰とは神様との個人的関係が重要だという事を改めて感じました。私自身, 先生の結論が私の中にある答えでもあった事にほっとしました。 イエスキリストの愛、あの十字架上で、「 貴方は本当に正かった」 という言葉をイエス様に伝えたこの世の罪人の心からの悔い改めを赦し、 共にパラダイスに引き揚げてくれた哀れみ深さ、 底しれぬ愛、 この世の偏見や価値観をも超越したイエス様の偉大な愛を謙虚さを持って受け継ぎ述べ伝えたい一心でありたいです。