【来信】主より賜った異言について、お話を伺うことができるのは、本当に感謝なことです。賜物をいただきながらも、交わりで体験を深めたり、自覚したり、また指導されるということが、きわめて少ないのです。私の属する教会では、異言や預言の働きを事実上認めていないこともあって、私の異言についての知識は14年たった現在も、かなり限られています。このコイノニアのような場所を知り、インターネットを通じて出会えたことをたいへん尊く感じております。
【返信】せっかく貴重な異言を伴うみ霊のバプテスマを体験しながら、あなたの教会では、それが十分評価されていないようですね。「あー、もったいない」というのが私の率直な感じです。一般に日本の教会で異言を認めようとしないのは、異言そのものに関する無知からでている場合が多いようです。すなわち、教義的に異言を異端として排除しているのではないことです。ひとつ考えられる理由は、奇跡と異言・預言の時代はすでに<終わった>という認識あるいは信仰から来ているのではないかということです。これは教義的レベルではありませんが、聖書解釈的レベルの問題なので、厄介です。この聖書解釈の問題は、<異言を語る人も>のシリーズで、必ず取り上げたいと思っています。それだけに現在の日本では、あなたのようなクリスチャンが、どんなに希少価値のある存在であるかを、どうぞご自分で自覚なさってください。