【来信】
先日クリスチャンの学生と話していて、この人は普通の女子学生なのに、「この世の中は汚い、日本人は呪われている、早く主の御国へ行きたいと思う」という彼女に、私が「何を言っているの。イエス様が愛されたのはこの世よ。主は世の終わりまで、どこにも行かないよ。弟子のアナタが行ってどうするの」と言う問答の一幕がありました。それでもかなり強く話しているので、ああこれはやはり、と感じました。社会派的な人たちはこのような動きに対しては社会的な活動を通してプロテストしていきますが、福音派の文脈では、日本社会への嫌悪、現世否定、マイノリティーの陥りやすい被害感に向かって押し出されているようでした。この世の中で、いかにして地に足をつけて自分に与えられた人々を精一杯愛して行くか、ということが本来の課題であるのに、この世は汚い、染まってはいけない、離れて距離をとって、早く通り過ぎよう、というスタンスへ導かれてしまうのは、個々の牧師や教派の色とはいえ、悲しすぎるように思います。
【返信】
あなたが提起されている問題は、キリスト教の歴史においても、さまざまな姿で問題とされてきました。この問題には、聖書はいったい、この世の悪に対してどのように対処するのかという古くて新しい問題が含まれています。
〔T〕
クリスチャンを脅かすものとして、悪魔(サタン)とこの世に働く悪霊と個人の肉的な罪、この三つが伝統的にあげられています。しかしここでは、その中の一つとして、「この世の悪霊」についてお話しましょう。
(1)悪霊は古来ふたつのレベルで働くとされています。ひとつは個人的なレベル、もうひとつ「この世」という社会的な共同体のレベルです。個人的なレベルでは、悪は私たち一人一人の「罪」として自覚されます。しかし個人を超えた社会的・全体的なレベルで働く場合に、私たちはその働きを「悪霊」の働きと呼んでいます。個人に働く罪と悪霊とを一応このように区別することができます。実際には、この両方がお互いに関連しあっているのですが。
(2)もしも悪霊の働きが、個人を超えた世の中全体の働きだと考えるならば、悪に対する個人の責任がなくなるか、少なくとも軽くなります。しかし、こういう考え方は、決して私たち一人一人が罪に克つほんとうの力とはなりません。この考え方ですと、この世の中は悪霊に支配された悪い世の中ですから、こういう悪霊の世の中から個人個人を救い出すことこそが大切だという考え方に導かれます。
(3)今度は逆に、個人の罪だけを強調しすぎますと、その個人の悪と罪には、世の中全体の社会的な悪が重くのしかかることになります。どのような個人も、彼が属している社会的な共同体の影響を免れることができないからです。この考え方は、その結果、あまりに多くの負担を個人に負わせることになり、数多くの個人が、こうして精神的・身体的な障害に陥ってしまうのです。これは、個人に働く悪の力が世の中の力と関連していることを見逃したために起こることです。
(4)もしも教会とこの世とを峻別して、悪霊の支配するこの世から、個人が救われて教会のメンバーとなることこそが、悪の力にうち勝つほんとうの力だと考えるならば、それはどういう結果になるでしょうか? たとえ教会に所属していようとも、いかなる個人もこの世の悪の影響から完全に自由になることがありません。それなのに、この世から救われた個人には、もはや悪はないハズだと信じるならば、教会は、今度は教会の「内部に」この世的な悪が潜んでいることを「発見して」、その悪を退治することに全力を傾けるようになります。このようにして、教会は際限なく自分の内部にこの世的な「裏切り者」を探し求める結果に陥るのです。こうなりますと「教会」は、個人を厳しく監視する牢獄に転化するおそれがあります。
〔U〕
悪霊との対照において、今度はキリストのみ霊の働きについて考えてみましょう。この場合にも、個人の悪と全体的な悪霊の場合と同じことが言えます。
(1)イエス・キリストのみ霊は、私たち個人個人の内に働いて、私たちを救いに導いてくださいます。しかし、これと同時に、み霊はこの世の中、すなわち社会的な共同体のレベルでも働いてくださることを知らなければなりません。言い換えれば、キリストのみ霊は、私たち個人の内に働いて、罪と悪からわたしたちを赦して救ってくださると同じように、み霊は世の中にも全体としても働いて、この世の悪と闘い、この世の罪を赦し贖う働きをしていてくださるのです。
(2)もしもキリストのみ霊が、この世の中に働く悪と悪霊の力に勝つことができないなら、どうしてみ霊が私たち個人個人の内に働いて世の悪からは私たちを守ることができるでしょうか。キリストのみ霊は私たち個人個人の主であると同時に、全世界の主でもあります。「神はこの世を愛された」(ヨハネ福音書3章16節)と聖書にあるのはこの意味です。
(3)日本の国が「悪霊に支配されている」と考える人たちがいますが、このような主張は注意しないと誤解を招く恐れがあります。なぜなら国家としての日本の成り立ちは、アメリカやイギリスやその他の世界の国家の成り立ちと基本的には変わらないからです。それはアメリカの経済機構と日本の経済機構とヨーロッパの経済機構とが基本的に変わらないのと同じです。もしも、日本の国家に悪霊が働いていると考えるのなら、日本以外のすべての国家にも悪霊が働いていると考えるべきです。同時に、もしもキリストのみ霊が、個人個人の内に働くだけでなく、民と共同体のレベルでも働いてくださるのなら、日本人と日本の国のためにもみ霊が働き、この国の民の罪を赦し贖って下さいます。だから私たちは、自分個人のためだけではなく、日本のためにも真剣に祈ることがとても大事なのです。どうぞ確信を持って祈ってください。