以下は編集者の求めに応じて、雑誌『ハーザー』9月号2002年に寄稿したものです。
ご参考にして頂ければ幸いです。

                    死者への執り成しの祈りは可能か 
                    ――日本人への宣教のために―― 
■聖書の生死観
  福音を知らないままに亡くなった先祖や親族のために、執り成しの祈りが可能かどうかを考えるのは、私たち日本人キリスト者にはとても重要だと思います。しかし、この問題に入る前に、聖書の、特に新約聖書の生死観それ自体について、幾つかの基本的な認識が必要であろうと思います。
(1)聖書には、私たち日本人と同じく、「死」を自然のサイクルの中でとらえる「安らかな自然死」が出ています(創世記二五・8)。しかし聖書は、私たち日本人よりも、「時ならぬ死」「不慮の死」に対してはるかに敏感です。それは人の「死」が罪の結果であるとする認識が根底にあるからです。
(2)聖書には、人間の「死」が、肉体の滅びを境にして起きるのではなく、すでに地上において、霊的な意味で「命」と「死」とのふたとおりの生き方が存在するという認識があります(ヨハネ福音書五・24)。
(3)聖書では、人間の個人としての身体的存在と霊とは分離できないものであって、キリストを信じる人それぞれに、神の姿にかたどった人格としての「霊の体・姿」が授与されるという信仰があります。これが神の霊によって形成されるその個人の永遠の生命となるのです(第一コリント一五・44)。
(4)新約聖書によれば、人間の生死は、キリストの復活と終末の裁きを両極にして、過去から未来へと直線的に流れる時の中で生起します。「キリストの復活」と言いましたが、「キリストが復活したから人間が復活する」というよりも、「すべての人は終末において復活するのだから、キリストが(初穂として)復活された」というほうが正しいのです(第一コリント一五・13)。
(5)キリストの復活は聖なる歴史の中での一回限りの出来事です。したがって、これにならう人間の「復活」も、自己の存在が子孫を通じて「再生」されていくという自然のサイクルによるものではありません。また「復活」は、いわゆる霊魂の「生まれ変わり」、すなわち「輪廻転生」ではありません。
(6)ユダヤ教黙示文学を含めて、世界には死後や霊界の姿を啓示するという文書があります。「死後の世界」観というスクリーンは、それぞれの文化的特徴を帯びていて、そこに投影される「啓示」も、これに限界づけられることになります。したがって、どのような「啓示」も絶対的なものではありえません。 
 以上のような基本認識を前提とした上で、「死者への執り成し」を考える必要があると思います。
エノク伝承について
 死者のための執り成しの問題をまず歴史的な過程にそって概観してみましょう。旧約の初期ユダヤ教の時代では、死者は地下にある陰府(よみ)の国に住んでいて、地上で生きる望みはなく、特に神に逆らった者たちは陰府の「獄」に監禁されていると信じられていました。ただしこれは、いわゆる「地獄」のことではありません。ところで、旧約の偽典に『第一エノク書』というのがあります。これによると、創世記6章にでてくる「神の子たち/天使たち」は、「人の娘たち」によって子どもを生みます。ところがこの「天使たち」が、神に逆らったので罰を受けて陰府にある「獄」に監禁されました。エノクは「神が取られたのでいなくなった」(創世記五・24)とありますが、エノクは閉じこめられている堕落天使たちの所へ降り、これらの堕落した霊たちに対して「決して赦されることがない」と告げたと言われています。これは、初期ユダヤ教では、この天使たちの不従順がノアの大洪水の原因になったとされていたからです。
初期のキリスト教
 エノクは、メシア(キリスト)の予型とされていましたから、イエスをメシアと信じた初期のユダヤ人キリスト教徒たちは、イエスが十字架刑の後に「死んで墓に葬られて陰府に降下した」(使徒信条)と信じました。ただし最初期の教会では、キリストの死と陰府への降下について、ユダヤ教の伝統に従い、キリストは「人間として」死んだのだから当然陰府に降った(テルトゥリアヌス)ということ以上の意味が与えられてはいなかったようです。ただそれまでと異なるのは、イエス・キリストが、「最初に陰府から出た人」になったことです。このようなキリストの陰府降下とそこからの復活から、キリストの陰府降下が救済論的に理解されるようになりました。ここから、キリストが陰府の力に勝利して復活した時に、キリストの到来以前にメシアを待ち望みつつ死者となった旧約の義人たちをも共に陰府から連れ出して天へ昇ったというユダヤ人キリスト教徒たちの信仰へ発展したと思われます。正統派の司教として著名なエイレナエオスは、キリストが十字架から直ちに昇天したのではなく、死者として三日間陰府に留め置かれたことを強調していますが、同時にエレミヤ?を引用して「イスラエルの聖者なる主は、葬りの地に眠るその死者たちを覚えていた。そこで彼らを救うために自らのもたらした救いの福音を告げ知らせようと彼らのもとへ降りていった」(『異端反駁』三・20・4)と述べています。しかし彼は、キリストの降下をすべての死者に対する救いの告知とは見ていません。
 こうして新約では、旧約時代の堕落天使への最終的な断罪の宣告とは反対に、キリストは、「死と陰府に勝利した」メシアとして、「獄」につながれていた霊たちにも救いをもたらしたと解釈されるようになりました(マタイ12・41-42/使徒言行録・31/ローマ10・7/エフェソ・8-10/コロサイ・15)。さらに第一ペトロ(3・19-20)では、旧約のエノク伝承がキリストの降下と結びついて、「キリストによる霊たちへの宣教」と「ノアの大洪水」と「洗礼」(洪水はキリストによる洗礼の予型)とが関連付けられることになりました。エノクの場合とは異なり、第一ペトロの手紙では、獄にあった天使たちに福音が告知されたのです。    
オリゲネス
 キリストが陰府において、霊たちに福音を宣べ伝えたという解釈は、主として東方教会においてさらに拡大され、キリストの到来以前に死んだユダヤ人にも、さらには異邦人にも、すべての死者に福音が告知されたという解釈へと発展することになります。このような信仰には、第一ペトロ(3・19-20/・6)の影響があったと思われます。こういう解釈をした人にアレクサンドリアのクレメンス(150年?~215年?)がいますが、中でも著名な人が、アレクサンドリアの代表的な神学者オリゲネス(185年?~254年?)です。彼はキリストの陰府降下が「死せる者にも生ける者にも主となるため」(『ヨハネ福音書註解六巻』)であると解釈しました。オリゲネスは、悪それ自体もまた終末にあっては完全に消滅し、陰府も神へと戻ると考えたようです。ただし彼は、こういう解釈を必ずしも自己の正式の教義としたのではありません。なお、オリゲネスの信仰は、「オリゲネス主義」として、その後も弟子たちに受け継がれることになりますが、ローマ皇帝勅令とコンスタンティノポリス総会議(553年)によって「オリゲネス主義」は、東方教会で異端とされることになります。
■使徒信条
 最初期のキリスト教会から4世紀の半ば過ぎまでは、ちょうど現在のプロテスタント諸派のように、様々な信条がそれぞれの地域で用いられていました。それらが統一されてできたのが第一回ニカイア総会議で採択されたニカイア信条です(325年)。これに対してローマの地域ではより簡単な「古ローマ信条」が古くから(2世紀?)用いられていました。これも本来はギリシア語で書かれたものです。使徒信条が西方教会の典礼で公式に用いられるのは4世紀からです。「陰府に降り」という一句は、アリウス派信条にギリシア語で初めて現われ論じられました(359年)。次いでアクィレイアの信仰告白(390年)に表われ、最終的に使徒信条の中の一句となりました(750年)。その際、使徒言行録(2・31)、第一ペトロ(・19/・6)、ルカ福音書(23・43)などがその根拠になったと思われます。こうして「使徒信条」は西方教会で定着し、「イエス・キリストは、十字架にかかり、死んで葬られ、陰府に降り、三日目に死人のうちよりよみがえり」という言葉が、これ以後の正統キリスト教会の信仰となったのです。
■アウグスティヌス
 西方教会は、アレクサンドリアの東方教会の解釈に同意しませんでした。アウグスティヌス(354年~430年)にいたる教父時代でも、キリストの降下によって救われたのは、「かつて不従順であったが降下以前にすでに回心していた」霊に限られていたという解釈があったようです。西方教会を代表するアウグスティヌスは、キリストの降下の伝統的な解釈を否定して、第一ペトロの手紙(4・6)にある「死んだ者」というのは、「地上にありながら霊的な死者となっている人たち」といういささか無理な解釈をしました。このようにして、世紀にわたる古い教父伝統を彼は危険だと見なしたのです。
■中世のカトリック教会
 しかしながら、「死者にも救いの可能性が与えられる」という伝承は、中世のカトリック教会に受け継がれました。人間は、この世を去って死んだ後でも、霊的に成長することができるとされ、したがって、死者の魂は、悔い改めて浄められることによって、天国へ入ることが許されるという教義が生まれたのです。これが地獄と天国との間に存在する「煉獄」(プルガトリウム)と「浄罪の火」の教義です。どのような魂が、この試練と浄めに与ることができるのかは単純に割り切ることができません。たとえば、キリストを信じても地上では罪の償いを十分できなかった魂などに限って、この浄めに与る資格が与えられるようです。この教義は、現在でもカトリック教会の教義として認められています。
宗教改革者たち
 16世紀に始まった宗教改革では、一般に救いは、地上に存在する人が、イエス・キリストを信じる「信仰のみ」によってもたらされるという立場をとりました。したがって、プロテスタントの神学では、キリストの陰府降下の教義を回避する傾向が強いようです。これは当時の宗教改革者たちが、カトリックの教義に対立する意図があったからでもありましょう。彼らは、カトリック教会の「前地獄・リンブス」や「浄めの火」(死者は獄中にあったが、キリストは彼らをそこから解放して、彼らは「中間状態」の煉獄にあって浄罪の火のうちにある)に対抗したわけです。これに対して、カトリック側では、降下による救いを否定したアウグスティヌスに背を向けるようになりました。ルターは、「私は彼〔キリスト〕が、私とすべて信じる者の罪を完全に殺し葬り去るために、死んで葬られたことを信じる」(「使徒信条の要解」)と述べて、キリストの陰府降下を「自分の罪の死」に関連づけています。17世紀のルター派では、キリストの陰府降下は、救いから見放された死者に対して「救いではなく断罪のために」キリストが訪れたと解釈されました。旧約時代のエノク伝承に戻ったことになります。
宗教史学派
 18世紀末頃から、主としてドイツで興った宗教史学派が、再びオリゲネスの立場へ復帰することになります。これ以後19世紀を通じて、この流れは変わらないようです。19世紀の宗教史学派の影響を受けた無教会の内村鑑三は、晩年に「万人救済」の信仰に到達するに至りました。
■現代では
 以上見てきたように、キリストによる死者の救済の解釈は、歴史的に紆余曲折を経てきています。現在では、この問題への見方は、大きく三つに分かれているように思います。
(1)死後の世界でも、一定の条件の下で、人間には霊的成長と救済の可能性がある。これは煉獄の教義を持つカトリック教会の立場です。
(2)人間の救いは、地上においてキリストを信じるかどうかによってのみ決まる。したがって終末においては、これ以外にいっさいの救いは存在しない。この立場は、主として福音主義系のプロテスタント諸派に多いようです。
(3)死者は、キリストへの信仰者も非信仰者も共に、キリストの恵みのもとにあるが、終末には、キリストにあって、人それぞれの行いに応じて正当な裁き/赦しが与えられる。だから、死者の救済については、人間は、死者の霊をキリストに委ねることができるのみである。これはプロテスタント諸派と東方教会の立場に近いようです。カール・バルトの使徒信条の解釈もこれに近いです。
■「地上での信仰のみ」について
 私自身としては(2)の立場をとりません。理由は大きくふたつあります。
(1)この信仰に従うなら、キリストの福音を知らなかった過去のすべての人類は、地獄に堕ちることになります。過去・現在、そして未来の全人類に比べるなら、新約聖書の信仰にあって、しかもプロテスタントの信じ方で死んだ人の数は、ごくごく微量です。その他の全人類が、とりわけ「キリストを知らなかった」という理由で、地獄に堕ちると考えるならば、日本・中国を含むアジアのほとんどの諸民族、アラブ世界のイスラム教徒、インドのヒンズー教徒など、すべての人が地獄に堕ちます。こういうことを信じる宗教は、とてもおかしな宗教だと私は思います。
(2)さらに私がこの信仰を受け入れないもっと大きな理由があります。「人が生きるか死ぬか」、これは人間にとって大問題です。しかし「人が地獄に堕ちるかどうか」という問題は、それよりももっと重大で深刻な問題です! 地獄へ堕ちることは、死ぬよりもさらに恐ろしいからです。こういう重大な問題で、(2)の立場をとるならば、問われてくるのは、「地上でキリストを信じるか否か」では済まなくなります。この問題は、必ず、いったい「どんな信じ方で」キリストを信じるのかという問題に行き着くからです。「どういう信じ方でイエス・キリストを信じるのか?」この問題がひと度問われ始めると、いったい「誰が」その信じ方を決めるのか? が問われることになります。その結果として、ある特定の人(たち)が、救われるかどうかを決定する「信じ方」それ自体を決定する恐れが生じてくるのです。地上でキリストを拒み「信じなかった」者だけではありません。キリストを「知らなかった」者も地獄に堕ちるというのは、恐ろしいことだと思います。こんな恐ろしいことを、人々に向かって確信を持って伝えるためには、よほどはっきりした「信じ方」と「知り方」を把握していなければなりません。逆に言えば、そのような人(たち)は、自分たちのような「信じ方」をシナイ人たち、またシナカッタ人たちは、全員地獄に堕ちるという確信に到達することが予想されます。「自分が信じているとおりに信じない人は、すべて地獄に堕ちると確信している人。こんな恐ろしい人が世の中にいるだろうか」これはあるユダヤ人の女性が私に言った言葉です。私がどちらかと言えば(3)の立場をとって、(2)の立場をとらないのはこのような理由からです。
■死者への執り成しの根拠
 率直に言わせていただくなら、アウグスティヌス以降の西方教会の正統信仰に立つ限り、死者のために執り成しの祈りを行なうことには無理があります。なぜなら、死者たちに対するキリストの恩寵が期待できるというキリスト論は、アレクサンドリア派の神学者たち、クレメンスやオリゲネスたちによって提唱されたからです。西方教会は、そのような解釈を退けたのです。終末での裁きにあって、悔い改めてキリストを信じた者や旧約の義人たちの救済は認められますが、それ以外は断罪の対象になります。その際に問題なのは、「不」信者と「未」信者との区別をしていないことです。キリストを信じなかった不信者とおよそキリスト教とは全く縁のない異教世界に生きた未信者とを完全に同一視して断罪する限り、未信者への執り成しは不可能です。だから最後の審判におけるキリストの救いについて、不信者と異教の未信者とを同一の範疇でとらえる限り、終末の裁きにおいて、キリストの贖いの恩寵に浴する道は断たれることになります。せいぜい、聖母の憐れみにすがって、年に一度のペンテコステの日だけは、裁きの苦しみから逃れて、神を賛美することが許される程度です(『懲罰についての聖母への神からの黙示』11世紀?)。
  私は、欧米とは異なる日本の霊的な状況においては、宗教改革以来のカトリックとプロテスタントとの相克にこだわる必要はないと思います。日本においては、使徒信条の教義が今もなお十分に有効であると信じることができます。キリスト以前の旧約の人たちが、キリストの陰府降下によって贖い出されたのであれば、それと全く同じ根拠によって、旧約の民以外のすべての民族にも同じ条件が授与されていると信じることができます。なぜなら、パウロが繰り返し主張しているように、「神はユダヤ人であれ異邦人であれ、いっさい偏り見ることをせず」全く平等にイエス・キリストにあってすべての民を扱われるからです。生きている人間に対してなされるこのキリストにある恵みは、同じ理由で、死んだ人にも適用されると信じることができます(アレクサンドリアのクレメンス『ストロマタ』6・6)。ただしその際に留意しなければならない点が幾つかあると思います。
死者への執り成しの条件
(1)未信者の死者への執り成しの根拠は、キリストの十字架による贖いの死と黄泉への降下、これに続く復活の出来事それ自体に求めるべきで、黄泉において行なわれたキリストの「行為」(たとえば死者への洗礼とか宣教など)に求めるべきではありません。またキリストの贖いが効力を持つのは、黄泉においてなのか、それとも復活以後においてかという問題も私たちはそれほどこだわる必要がないと思います。
(2)「すべの人間は、一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」(ヘブル9・27)。これが死者への執り成しの基本となる聖句です。家族や親族による死者への「追悼」の儀礼は、旧約の時代から行なわれていました。しかし、追悼の祈りから復活のキリストへの祈りが、旧約から新約への大きな転換となります。そこから、義人や主にある死者はすぐにパラダイスへ昇るという信仰が生じました。ただし、未信者をも含めてそれ以外の人たちは、いぜんとして黄泉に置かれて最後の審判を待つことになります。
(3)したがって、死者のための執り成しの祈りは、厳密にイエス・キリストのみ名によってのみ、初めて許されることを確認することが重要です。天と地と黄泉のいっさいの権能を有する主イエスのみ名(黙示録1・17)によるだけではなく、そのみ名を通して神から絶対恩寵が注がれるという理解が必要です。ユダヤ人も異邦人も、生ける者も死せる者も、いっさいの人間にイエスのみ名による絶対恩寵が注がれるという信仰に基づいた時に、死者への執り成しが意味を帯びてくるからです。
(4)同時にそれは、終末の裁きへ向けて、現在の人々への執り成しの祈り、さらに自分自身の罪の赦しの祈り、これらが併せて行なわれるべきです。自分の罪が赦されたのであれば、他者の罪も赦されるべきであり、同じ意味で、自分より以前の先祖や家族の終末における罪の赦しをも祈り求めることができるというのが、執り成しの信仰の根拠だからです。自分自身に与えられた罪の赦しが、過去、現在、未来を含む全人類の罪の赦しと重なってくること、内村鑑三が晩年に万人救済への信仰に至ったのも、このような信仰に基づいていたと思われます。キリストにある祈りでは、自己の主体的な祈りと終末に向けての全人類のあり方とが一つになるのです。
(5)ただし、生前キリストへの信仰を拒否した者や神と福音に反対した者たちは執り成しの祈りの対象にふくめるかどうか難しい問題があります(ラテン語エズラ書8・55ー58)。キリストにある絶対恩寵への信仰からは、不信者への執り成しも不可能ではありませんが、ここでは故人の「信仰の自由」という問題とも関係してきます。一般論としてよりも、祈る人とその故人との関係によって決められるべきです。
(6)死者への「追悼」と未信者や罪を犯した死者のための「執り成し」のふたつは本来区別されなければならないものです。しかし、実際にはこれらふたつが相互に関連し合う場合が多いと思われます。家族・親族による死者への供養と追悼は、旧約以来の長い風習に基づいています。ダビデがサウル王から食事に陪食するよう命ぜられた時に、彼は年ごとの自分の家族の供養を王との陪食を免れる口実にしています(サムエル記上20・6)。このことは、家族の追悼・供養が、王との陪食を断わる理由になるほど重視されていたことを示しています。
 しかし、ダビデ王朝の時代に入り、エルサレム神殿を中心とする国家的祭儀宗教が盛んになるにつれて、家族ごとの「個人的な」祭儀はすたれていったようです。アウグスティヌスが、初期教父以来続いていた家族的で個人的な故人への供養を禁じたのも、キリスト教がローマ帝国の国教となり、教会の中央集権的な権威が強まったことと関連していたのかもしれません。
(7)したがって、死者への執り成しや追悼を、教会が公の問題として、これを正式に公認するのは賢明でないのではないかと思います。本来、死者への追悼や執り成しは、その家族や親族や友人による自発的な形で行なわれるべき性質のものです。教会はそれを追認し、場合によっては助言し援助するというのが自然なあり方だと思います。ここでは、教会は脇役であり、これらの祭儀の実施にあたっては、個人の信仰の自由を最大限に尊重することが大切です。
 以上私なりに調べた範囲で、私見を述べさせていただきました。何らかのご参考になれば幸いです。なおこの寄稿に当たっては、私の学友であり信友でもある京都キリスト福音集会代表の市川喜一氏にご助言をいただいたことを感謝して付記いたします。
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