【来信】私はいわゆる福音派の教会で信仰を育んできました。クリスチャンになって、もう20年以上になります。今でこそ、福音派も異言を容認する方向になりつつありますが、その当時異言を語る教会は異端でした。しかし、私は聖霊体験に興味を持ち、個人的にペンテコステ派の教会にも行ってみました。そういう中で、私は異言を語るようになりました。私も福音派だったので、先生のファンダメンタリズム批判はよくわかります。私もファンダメンタリズムには反対で、最近の学問的な研究にもとづく注解書で聖書を勉強していきたいと考えています。現在の私は、ファンダメンタリズムの立場をとらない福音派、高等批評にも開かれた福音派といったところです。日本の福音派のなかでは少数派だろうと思いますが。
【返信】あなたのメールを読んで、福音派と聖霊派と現代の聖書批評、これら三つの間での悩みを思い、感銘を受けました。聖霊のバプテスマと福音派との問題は、『リバイバル新聞』の最近号でも牧師さんたちの間で議論されている、いわば最先端の問題です。21世紀のキリスト教は、「聖霊論」が軸になると言ってもいいかもしれません。私が今コイノニアホーム・ページで試みている「異言を語る人も語らない人も」は、まさにこの問題をじっくりと掘り下げて考えつつ祈りつつ深めていくためのものです。ギリシアや日本の神憑りにまで話が及ぶのは、回りくどいと思われるかもしれません。しかし、そういう次元まで霊的な問題を広げて深めないと、わたしたち日本人には、聖霊の問題をほんとうの意味で解決できないと悟ったのです。あなたの問題は、同時に、これから聖霊体験をするであろう多くの日本人の問題につながっていることをしっかりと認識してください。そして、今自分に与えられている霊的な賜物とその賜物の持つ意味がいかに大きく深いかを悟ってほしいのです。自分に与えられたものをしっかりと守り育てることが、神のみ前であなたに課せられた使命であり、責任であり、かつそれこそが、あなたの生き甲斐となることを知ってください。