【来信】
  私は一度、会社へ復帰しましたが、鬱症状がひどく、今は再び、欠勤中です。経済的にも精神的にももう完全なる破綻の寸前です。今まで多くの人に祈っていただき、しばらくはよくなりましたが、残念ながらまた鬱が舞い戻る繰り返しでした。気晴らしをしても同じことでした。しかし、もうあとがありません。断崖絶壁です。それで、睡眠薬もやめて、主イエスが新たなる聖霊を与え、鬱を完全に癒してくださるまで何日でも寝ないで祈ろうと思います。このメールをお送りするみなさんの中には、私の非礼や罪、欠陥のために、私に怒りを抱いているかたがいるかもしれません。どうぞ、それらをイエスの十字架で流された血のゆえにお赦しください。繰り返し同じ罪に陥る罪人の私をお赦しください。心の深みから新たにされてみなさんにお会いできることを望んでいます。どうぞ、私のためにお祈りください。

【返信】
  返信遅れて済みませんでした。いつもメールは夜に見ることにしていますので。あなたのこと、祈り続けています。わたしには、あなたが、主様の御前に恵まれて、大きな赦しの愛に包まれているのが、見えるのです。頭では、あなたが苦しんでいるのが分かっていても、霊的にはあなたの心も体も主のみ手に支えられているとしか思えないのです。これは本当に不思議です。
   <たとえ何が起ころうとも、あなたは主様のみ手にしっかりと掴まれて、その赦しの大きな慈愛に護られます。>どうかこれから、自力でどうこうしようとはせずに、何もかも全部任せて、明日までゆっくりと休んでください。久子と二人で、癒しのみ手を祈ります。主にあって。昨夜も今朝もあなたのこと、祈らされています。どうか最後の最後まで、諦めないでください。人の力の尽きた時に、主の御霊が働き始めるからです。ただ、主のみ名を呼ぶ!これだけです。

【再来信】
 何度もメールいただきありがとうございました。日曜日は、礼拝でただひたすら天におられるキリストご自身に叫び求めました。そしてその叫びと涙も尽きたところで、腹の奥底から新たに異言が噴き出してきました。そして、集会後は何だか、恐れをすべて手術して除去されてしまったかのように胸が軽くなりました。
 そして、今朝、恐れはまったく拭い去られていました。そして、今まであまり異言を用いたことがないのですが、聖書を数章読んだ後、異言がまたもや噴き出してきました。会社は、ある程度、出勤時間の調節が効くのですが、今までは持ち前のがんばりで人より早く出勤していました。しかし、御霊がもっと遅く出たほうがいいという知恵を与えてくださったので、今日は家を遅く出ました。結果的に体力の消耗が少なかったです。会社に行く途中、今、手島郁郎氏の「エペソ書講話」を読んでいるのですが、その間も異言が内側から絶えず溢れてきました。
 先生の「たかが異言、されど異言」また「コイノニア」の記事を思い出して、仕事中も異言を続けました。イエスの祈りでは仕事といっしょにやるのは難しかったのですが、異言は仕事と両立できました。会社にいる間も、不思議な主の臨在に包まれて仕事をすることができました。いろいろ厳しいことも会社で言われたのですが、その言葉にも揺るがされない平安がありました。本当に、お祈り感謝します。今日一日、主に生かされてある日、しかし永遠の今日であることを感じ、主に感謝しております。明日もありますが、御霊の導きに委ね、御霊の知恵をいただき、御霊の臨在のなかを歩もうと思っています。

【再返信】
 返信のメールを読んでただただ感謝です!どうぞその状態を続けてください。その際に注意してほしいのは、当面のあなたのしなければならないお仕事と<最低限度の>祈りで、力を抜いて、<ほかのことには気持ちを向けない>ようにしてください。今一番大事なのはあなたの霊性と仕事と集会とが支えられることであって、それ以外のことはあなたの責任ではないことを銘記することです。あなたは主に愛されています。
  だんだん御霊のご臨在に親しんでくると比較的穏やかに静かに霊性が保たれるようになります。わたしなどは、学生に授業をしている最中でさえ、御霊の導きをおぼえることがありました。異言もエクスタシーも、お仕事の妨げにならないどころか、逆に自分では気がつかなかったところにふと気づいたりするものです。例えば校正の見逃しだとか。不思議です。久子も祈った甲斐があったと喜んでいます。
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