13章 洗礼者自身の証し
1章19〜28節
■1章
19さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、
20彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。
21彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。
22彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」
23ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」
24遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。
25彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ洗礼を授けるのですか」と言うと、
26ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。
27その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」
28これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向う側、ベタニアでの出来事であった。
■荒れ野の声
証しするとは、人が神に動かされて、すなわち神に「とらえられて」、人にはできないことでも、それをあえてする行為です。だから、人にその行為の意味を尋ねても正しく答えるのは難しいのです。自分を動かしているものと同じ力を感じ、相手もこれに動かされるまでは、とうてい分かってもらえないからです。しかも、相手にそれを伝えるためには、まず自分がそのような者に<なる>、すなわち神に動かされて信じる者にされて初めて、その行為を人に示すことができるからです。これが、ここで言う「証(あか)しする」ことです。だから、証しするとは、人間の行為であって人間の行為でないと言えます。
洗礼者は、ヨルダン河でバプテスマを行ないます。いったい彼は何者なのか? 何を行なおうとしているのか? その行為にはどのような意味があるのか? 「あなたはいったいだれなのか?」 こういう問いかけに対しては、「わたしは、あなたたちが考えるようなメシアでない」という答えしか返ってきません。洗礼者の答えは、否定的で、だんだん短くなり、「いいえ」だけになります。にもかかわらず、人々は「返答を持っていけるようにせよ」と迫るのです。
御言葉を語ろうとする者は、常に、自分よりも先に居られた方に動かされて語るのですが、彼の語る言葉は、いつも自分より後に生じる出来事によって立証されることになります。彼を動かし、行なわせ、語らしめている力が、ほんとうに神からのものなのか、それとも一時的な自分の思いこみなのか、これは後から明らかになるからです。
洗礼者は水でパブテスマします。これが人間にできるぎりぎりの限界です。水の洗礼は象徴的な行為ですから、その行為に応えて「御霊によってバプテスマを授ける方」が来られないならば、それだけでは無意味に見えるかもしれません。その行為に応えて、「後から来る方」が来られないならば、です。
わたしたちの祈りや集会でも同じです。わたしたちの営みは、たとえそれが水のように淡く弱いものであつても、主が、これを支えて、御霊でその中味を満たしてくださる。この出来事が生じるかどうかにかかっています。「あなたがたの中に立っておられるあなたがたの知らない方」がおられるかどうか、この一事に、わたしたちの信仰の営みの真の意味がかかっているのです。
■洗礼者の背景
洗礼者については、まだ分からないことが多いのですが、彼が、ユダヤ教の中心であったエルサレムから離れたヨルダン川の付近で預言活動をしていたのは、それなりの理由があります。当時のユダヤは、ローマ帝国直属の地域でした。このために政治の実権は、ローマ皇帝の代官が握っていたのですが、宗教的には自由が認められていました。エルサレムの神殿では、大祭司を頂点とする約七十人からなる議会が、ユダヤ教の律法によって、神殿と会堂での礼拝を始め、一切の宗教活動を支配していました。「宗教活動」と言っても、現在のように、宗教と行政とが分離しているのではありませんから、現実には、税の取り立てや刑罰をも含めて、生活の隅々にまで、エルサレムの支配層の権力が及んでいました。
ローマ帝国は、ユダヤ教の自由を容認していましたが、これには大きな制限がつけられていました。一つは、帝国の権力に刃向かったり、反乱など起こさないこと。もう一つは、重い税金を帝国に納めることでした。皇帝への政治的従順と重税、このふたつと引き替えに、エルサレムの指導層は、自分たちの宗教の自由を守っていたのです。エルサレムの最上層部には、サドカイ派と呼ばれる富裕な大土地所有者が多く、自分たちの権益を守るには、このほうが都合良かったのでしょう。
しかし、このために、重い税が人々の上に課せられました。税は貧しい人々を苦しめました。とりわけ病気にかかった人たちは悲惨でした。労働力として役立たないことは、そのまま人間として失格の扱いを受けることを意味していたからです。イエス様に病気を治してもらうことが、文字どおり社会的に「救われる」ことでもあったのです。ローマ帝国の支配は、民族主義的なユダヤ教徒がローマの権力に反抗する根拠にもなりましたから、「預言者」と呼ばれる人たちがしばしば現れて、民衆を煽動(せんどう)して反乱へ向かわせようとしたのです。
エルサレムを中心とする宗教と政治の支配がもたらす歪みを最も敏感に感じとっていたのが、エルサレム以外の地方に住む貧しい祭司たちでした。洗礼者は、このような地方の貧しい祭司の家の出であったと考えられます。しかし、彼は、民衆を煽動してローマに反抗させるやりかたをとりませんでした。政治権力に武力や暴力で立ち向かうのは、本当の意味で神の正義と平和をもたらす道ではないことを知っていたからです。洗礼者は、武力や暴力ではなく、神の霊的な力に頼ったのです。
死海に近いヨルダン川の周辺には、祈りと神の霊によって浄い生活をおくりながら、メシアの王国を待望する人たちが多くいました。これらの人たちは、クムランの修道院を模範として、敬虔な日常生活によってメシアを待望する人たちで、当時「エッセネ派」と呼ばれていました。洗礼者も、そういう人たちの中から出てきたと考えられます。
しかし、彼は、引きこもった修道院生活ではなく、ユダヤの国の内部に潜む宗教的、社会的な腐敗や矛盾を厳しく批判して、「悔い改め」を説いたのです。彼は、武器を持って闘う「戦士としての預言者」ではなく、国の指導者や民に向かって神の声を「語る預言者」だったのです。ギデオンやサムソン型ではなく、イザヤやエレミヤ型の預言者です。
ここで注意してほしいのは、彼は、ローマ帝国を批判する代わりに国の内部の腐敗を突いたことです。国の悩みの本当の原因は、ローマ帝国にあるのではない。自分たちの国と民の内部にある。まず自分の内を正しくせよ。そうすれば、外はおのずから解決する。預言者は、いつも、まず主に頼れ、神に頼れと語ります。アモスもホセアも、イザヤもエレミヤも、このことを繰り返し警告しました。アッシリヤがどうの、エジプトがどうの、バビロニアがどうのと言うな。あなたがたの国の悩みの原因は、あなたがたの内にある。まず自分たちが、神のみ前に正しくなれ。正義を行い、公正を志向せよ。偽もの(偶像)にすがらないで真実(主なる神)に頼れ。そうすれば神は必ずこの国と民を守ってくださると。
わたしたちは、ともすれば、国の中で起こる問題や悩みを国の外からのせいにしたがります。しかし、外交問題は、ほんとうは国内問題なのです。洗礼者は、問題の所在を正しく見抜いていました。だから、彼の言動は、エルサレムの支配者たちをいたく刺激したのです。「エルサレムから派遣されたユダヤ人」とあるのは、こういう背景を指しています。
■「ユダヤ人」
ここで「エルサレムのユダヤ人」について説明します。実は、この句は、福音書の最終的な編集者(長老ヨハネ)によって導入されたのではないかと思われます。彼は、ヨハネ共同体の第二世代の指導者ですから、その頃には、すでにエルサレムはローマの軍隊によって破壊され、ユダヤの国それ自体は滅ぼされていました。考えて見れば、ユダヤの国内にいて、ユダヤ人である洗礼者に向かってユダヤ人が尋問するのに「ユダヤ人が」という言い方はおかしなことです。
国としてのユダヤは滅びましたが、民族としてのユダヤ人は滅びませんでした。このように民族のアイデンティティが失われなかったのは、その背後にユダヤ教があったからです。エルサレムの滅亡後に、ユダヤ教は衰えるどころか、自分たちの民族的な絆を保つためにいっそう強められたとさえ言えます。大土地所有者層のサドカイ派と貴族階級は没落しましたが、律法に忠実なファリサイ派は生き残り、いっそう宗教的な性格を強めていくことになりました。このために、時を同じくして、ローマ帝国内に広まり始めたキリスト教とは、言わば競合する結果になったのです。
このことは、ユダヤ教とキリスト教の双方にとって、非常に不幸な結果をもたらしました。なぜなら、ファリサイ派を中心とするユダヤ教は、ユダヤ民族の結束を強めるために、民族内のキリスト教、特にユダヤ人キリスト教徒に対して厳しい弾圧を行なったからです。こういうわけで、エルサレム陥落以後に、それまでとは違った状況の下で、ユダヤ教とキリスト教との対立が深刻になったのです。「ユダヤ人」と「ユダヤ教徒」は、ギリシア語では同じ「ユーダイオイ」です。この「ユーダイオイ」とヨハネ共同体との間には、厳しい緊張関係が生じたと考えられます。このような対立関係は、エルサレム陥落以後に編集されたこの福音書に、他の福音書には見られない陰を落としています。だから「エルサレムのユダヤ人」という言葉には、洗礼者の置かれた歴史的な時代背景と同時に、その後に、この福音書を生み出したヨハネ共同体の置かれていた状況が重ね合わされています。
■「ユーダイオイ」とは何か?
「ユーダイオイ」は、民族をも宗教をも含む用語です。この意味での「ユーダイオイ」とイエス・キリストの福音、これの対立がヨハネ福音書の一つの特徴であるとさえ言えます。ここで一つはっきりさせたいのは、「ユーダイオイ」は特定の国でも国家でもないことです。ではいったい「ユーダイオイ」とはなんでしょう。これを突き詰めると、わたしたちは、いったい「民族」とはなにか、「宗教」とはなにか、という問題に突き当たることになります。「ユーダイオイ」を単純にユダヤ人と同一視して、ヨハネ福音書の「ユダヤ人」をこの意味で理解するのは正しいとは言えません。ヨハネ福音書の「ユーダイオイ」を現在のユダヤ民族にそのままあてはめるのは大きな誤りであることを知ってほしいのです。
ユダヤ人とキリスト教の関係について言えば、『朝日新聞』(1993年12月29日号)に「バチカンとイスラエルあす国交調印」という見出しで、ローマ法王とイスラエルのラビが握手している写真入りの記事が出ていました。カトリック教会がイスラエルを国家として正式に認めることになったという記事です。その記事の中で、法王庁は、1965年のバチカン公会議で初めて、「キリストを十字架にかけた責任がすべてのユダヤ人にあるのでは<ない>」と声明し、「キリスト処刑に責任があるのは直接関与したユダヤ人だけ」という声明を出したとありました。このことは、逆に言うと、カトリック教会は、1965年までは、キリストの十字架の責任を「すべての」ユダヤ人に負わせることを正式に認めてきたことを意味します。これは驚くべきことです。まさに「キリスト処刑の責任」について「二千年がかりの和解」だと新聞の見出しにあるとおりです。
法王庁の今度の声明では、イエス・キリストの十字架の責任は、「直接関与した」ユダヤ人だけに限られることになります。歴史のあの時のほんの一握りの「ユダヤ人」に絞られたのです(ローマ人のピラトはその中に入らないのでしょうか?)。これだと、現代では、イエス様の十字架の責任は、だれ一人負わなくてもよいという意味にも受け取れます。
しかし、ヨハネ福音書の「ユーダイオイ」は、このような歴史の一コマに登場するわずかの「ユダヤ人」という意味以上のものを指し示しています。人間は、どこかの時代のどこかの民族に属しますから、イエス様を十字架につけた人たちが、「少数のユダヤ人」であったとするのは、歴史的には誤りでないでしょう。しかし、ヨハネ福音書では、「ユーダイオイ」は、そういう歴史の一時期に生じた出来事にかかわる意味だけではありません。それは、それ以後の人間の歴史の中で、いつの時代でもどこの国でも起こりえる人間の「タイプ」だからです。だから、イエス様の十字架を「すべてのユダヤ人」のせいにすることも「あのときの少数のユダヤ人」のせいにすることも、どちらも正しい解釈とは言えません。また、このような解釈が、現代のユダヤ人問題の解決になるとも思えません。
アメリカのカトリック神学者であるC・S・スローヤンは、彼の『ヨハネ福音書』(現代聖書注解シリーズ、日本キリスト教団出版局、原著は1988年)の序文で、ヨハネの「ユダヤ人」を「ホイ・ユーダイオイ」とそのまま訳さずに用いています。彼は「あるユダヤ人たち」とか「ユダヤ人の指導者たち」のような訳語でさえも不適当だと言います。「現代の説教者や教師たちは、不用意な言葉遣いによって、それがいかなる民族・階級であれ、安易な攻撃の的とすることにたいし警戒する必要がある。彼等は吟味せずに『ユダヤ人』という訳語を用いることによってこのことをしている」〔前掲書〕と彼は警告しています。特に、近頃、わたしたちの国でも、ユダヤ人に対して反感を煽るような出版物が出回っていますから、この点に注意しなければなりません。私は「ユーダイオイ」という表現こそ使いませんが、新共同訳の訳語にも「ユダヤ人」とカギを付けて用いるほうがいいのではないかと思います。
ヨハネ福音書講話(上)へ