204章 十字架につけられる
(マルコ15章22〜26節/マタイ27章33〜37節/ルカ23章33〜34節)
【聖句】
■マルコ15章
22そして、イエスをゴルゴタという所、訳せば「されこうべの場所」に連れて行った。
23没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。
24それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、その服を分け合った、だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。
25イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。
26罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。
■マタイ27章
33そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、
34胆汁を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで飲もうとされなかった。
35彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその衣を分け合い、
36そこに座って見張りをしていた。
37イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。
■ルカ23章
33「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。
34〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕
人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。
【講話】
「十字架にかけられた人を拝む」とは、いったい、どういう宗教なのか? この疑問は、イエス様御復活信仰の直後から、現在にいたるまで、人々が抱き続けてきた素朴な疑問です。それが「神のご計画」とあらば、そのご計画とは、なんと躓きと逆説と不可解を伴うことか(F. Bovon. Luke 3. 307.)というわけです。
この疑問に対する答えとなるかどうか分かりませんが、ミラノの司教であったアンブロシウスは(在位374年〜397年)、イエス様の「十字架への道」を「闘いに勝利した将軍」の凱旋行列にたとえました。凱旋の先頭に立つイエス様の後ろには、歓呼する様々な国民、イエス様に祈りを捧げる諸国の王様たち、罪から解放され救われた町々、イエス様に縛られ捕らえられた悪魔の姿などが従います〔ウルリヒ・ルツ『マタイによる福音書』I(4)]389頁〕。十字架は、「戦いに勝った」将軍イエス様の王冠としてその頭を飾るのです。
ところが、ヨーロッパの中世後期(15世紀頃)になると、十字架上のイエス様の姿が、凱旋のイエス様像から様変わりして、「極端な恥辱と屈辱のしるし」になります。十字架の上で、釘付けされた手首から体がぶら下がり、頭を垂れ、釘付けの痛みが体中の細部にいたるまで感じ取れる無残な様相のイエス様像です〔ルツ『マタイによる福音書』I(4)389頁〕。しかし、「凱旋」でも「苦難」でもなく、十字架にただ「神の御心」を読み取るというのが、どうやら、現代風の解釈のようです〔ルツ前掲書393頁〕。
実は、私自身も、ヨーロッパの修道院や教会堂を訪れた時に、十字架にかけられたイエス様の実物大の像が、目の前でその生々しい姿を見せているのを体験しました。言葉に尽くせない無残なその姿をじっと見ていると、こういう実像は、イエス様と同じ扱いを受けた人が見入るためのイエス様の十字架像であることを実感させます。しかし、私を含めて、そのような扱われかたを知らない者には、人間が人間に対して行う残酷な罪深さを思わせて、自分のうちにも、イエス様をこのように扱う同じ罪性が潜んでいるのでは? と反省を迫られます。
実は、この後者のほうの体験は、キリスト教の歴史では、長い伝統に根ざしています。ヨーロッパの中世の後期(15世紀)には、エルサレム郊外の「十字架の場」に、人が登れるほどの「カルバリ山」が作られます。同じ頃に、イエス様の「顔の汗を拭き取った女」として、「ヴェロニカ」伝承が現れます。裸のイエス様の十字架道を我が身に体験するために、上半身を裸にして、鞭で自分の体を打ちながら歩む「修行道」も行われました〔ウルリヒ・ルツ『マタイによる福音書』I(4)]380頁〕。
私が、アッシジの聖フランシスコ修道院を訪れ、その後で、近くの聖クララ修道院を訪れた折(おり)に目にしたのも、今もなお昔のままの面影を残して横たわる「奇跡の」聖クララ像の前に、大勢の人たちが、跪いて頭を伏せ、じっとこれを拝んでいるその姿です。私は、人々のその姿に、イエス様の受難に見倣おうとしたアッシジのフランシスコと聖女クララの厳しい「修業」に見倣おうとする姿勢を読み取りました。「十字架にかけられた人を拝む」宗教とは、かくも、重々しいものなのかと、しばし、たたずんで、聖クララ像だけでなく、ひざまずく人々の後ろ姿をじっと見ていました。
その「重苦しさ」を抱えながら、これに堪えているうちに、改めて、今回のルカ23章34節の「十字架上の赦しの祈り」が心に響くのを覚えます。この祈りは、イエス様を十字架につけた張本人であるユダヤ人たちへの「赦し」につながると見なされて削除されるという「歴史」を秘めています。十字架上の無残なイエス様像が、これほどの「赦しの祈り」と結びつく時に初めて、十字架が、キリスト教のシンボルとされたほんとうの意義を実感するのです。